音楽や映像を記録することを”レコーディング”と言います。今でも時々、私に写真や画像を送ってきて、そこに映った不自然なものを鑑定してほしいと頼まれることがあります。心霊写真や念写もそうですが、画像や音を記録したときに、人の思いや霊体が映り込んでしまうことはしばしばあります。これは写した人や被写体となった人の霊的な波長と、その土地の波動、そして写り込んだものの霊的な波長が一瞬、同調したことで起こる”霊現象”です。

 

かぐや姫の解散コンサートでの心霊録音は有名です。かぐや姫はとても人気のあったフォークソングバンドです。リーダーの南こうせつさんが1971年に初代かぐや姫を結成しました。南こうせつさん、伊勢正三さん、山田パンダさんの3人組は2代目かぐや姫になります。2代目かぐや姫は、「神田川」や「なごり雪」「22歳の別れ」といったヒット曲を出して、フォークソングブームを牽引しました。私は当時、中学生でしたが、当時はよくフォークソングを聞いていました。この時代は、かぐや姫の他にも、吉田拓郎さん、井上陽水さんなど、数多くのフォークシンガーが活躍していました。

 

人気絶頂だった2代目「かぐや姫」が1975年4月12日に神田共立講堂で解散コンサートを行いました。このコンサートの音源を再生した時に、大観衆のざわめきの中に、周囲の音とは明らかに違うトーンであり得ない言葉が録音されていたのです。それは若い女性の悲しげな声で、

「私にも聞かせてよ」

とつぶやいていたのです。

 

その頃は深夜の時間帯を中心にラジオ番組が流行っていました。多くの若者は”オールナイトニッポン”や”パックインミュージック”にくぎ付けになっていました。この女性の悲し気な一言は、これらの人気番組で何度も流されました。私も何度も聞きましたのでこの声は今でも記憶に焼き付いています。

 

実はこのコンサートの前に、オールナイトニッポンでパーソナリティーをしていた南こうせつさん宛に一通の手紙が送られていました。そこには不治の病にかかった少女から、病院のベッドから出ることができないので、解散コンサートへは行くことができないと書かれていたのです。この手紙を読んだ南こうせつさんは「何を弱気なことを言ってるんだ、必ず会場へきてくれよ」とマイクを通して励ましていたのです。その後、しばらくしてこの少女の友人を名乗る少女からまた南こうせつさんへ手紙が送られてきました。そこには彼女が亡くなったこと。そして解散コンサートには彼女の写真を持って行くことが書かれていたのです。南こうせつさんは放送中に涙ながらにその手紙を読んで、後日、亡くなった彼女のためにコンサートを開いたのです。

 

そして解散コンサートは無事に終了しましたが、当時は当たり前だったコンサート会場でテープレコーダーで録音していた多くの人が、後になってこの声に気付いたのです。そしてこの声を逆再生すると「私もそこへ行きたかった」と聞こえるのです。私もこの声を聴いた一人として、この少女のご冥福を祈らずにはいられません。