私が子供の頃は、家の近くにはまだ、たくさんの防空壕が残っていました。防空壕の入り口は木材でふさがれていましたが、子供たちはその柵を乗り越えてよく防空壕の中で遊んでいました。懐中電灯をつけて真っ暗な防空壕を進んでいくのは、子供にとってはまさに神秘体験でした。私もそんな”冒険ごっこ”にしばしば興じていました。

 

大人になってから行方不明者の捜索を依頼されて、富士山の麓にある”青木ヶ原樹海”には、何度も入りました。ここはいつの頃からか”日本一の自殺の名所”と言われるようになり、地元の警察や役場による捜索では、毎年、100人以上のご遺体が発見されています。その様子はしばしばテレビでも放送されてきましたが、今では大規模な捜索は行っていないようです。それは捜索の様子が放送されることによって、テレビを通して”自殺=青木ヶ原樹海”というイメージが出来上がってしまい、さらなる自殺者を呼び込んでしまうからです。

 

青木ヶ原樹海は西暦864年の富士山の噴火により、元々は湖だったところに大量の溶岩が流れ込んで出来上がりました。樹木は溶岩の上に根を張って長い年月をかけて森林を作りました。ですから青木ヶ原樹海の地面は少し掘り進めれば、土ではなく溶岩が出てきます。溶岩によって台地が形作られてきましたので、青木ヶ原樹では、多くの土地では見られないような奇妙な景色が広がっています。

 

その代表的なものが風穴です。青木ヶ原樹海には、横穴式に溶岩洞窟が伸びた”富岳風穴”や竪穴型の溶岩洞窟である”鳴沢氷穴”など、数多くの風穴があります。富岳風穴は長さ201メートル、鳴沢氷穴は長さが153メートルもあります。私が子供の頃に探検した防空壕をはるかに凌ぐ規模で、どちらも年間を通して平均気温は3度しかありません。そのため他の場所では見られない異空間を作り出しています。

 

しかも竪穴式溶岩洞窟の鳴沢氷穴は、その最深部は現在でも確認されていません。氷穴の中は地下水がしみ出していて、それが凍り付いていますから、足を滑らせて氷穴の底に落ちてしまえば、二度と戻ってこれない”地獄穴”と言われています。そしてこの洞窟は、相模湾の地下を通って、江の島の裏側にある”岩屋”と呼ばれる洞窟まで続いていると言われています。青木ヶ原から江の島まではざっと計算して直線距離で数十キロは離れています。もし、この2つの洞窟が地底でつながっているとしたらこんな夢のある話はありません。是非一度、テレビの検証番組で取り上げて欲しいと思います。