私が最近、目にする鬼は、まず”餓鬼”が増えたように感じます。餓鬼は六道輪廻の一つの道筋でもあります。餓鬼は首が異様に細くて痩せていますが、お腹だけがぷっくりと出ています。餓鬼は常に飢えや渇きに苦しんでいます。そしてやっとの思いで飲み物や食べ物を見つけても、それを口にしようとした瞬間に火がついて燃えてしまいます。ですから永遠に飢えや渇きに苦しみ続けるのです。餓鬼に生まれ変わるのは、生きていた時に強欲だった人。他人に思いやりや施しの気持ちを持たず、自分の利益だけに汲々として生きてきた人が、死んだのちに餓鬼に生まれ変わります。

 

他には”魅鬼”という鬼がいます。嘘つきで人を騙すことを何とも思わない人、人を惑わして自分の欲望をかなえてきた人が、死んだのちにこの鬼に生まれ変わります。私が若かったころ、サラリーマンとして会社勤めをしていた時期があります。そのころに同僚だった男性は、スナックのホステスを大好きになり、毎日のようにその店へ通ってお給料のほとんどをその女性に遣っていました。あるとき、その同僚が、「とてもきれいな女性で結婚も考えている」と私に話してきました。「一度、私にも見てもらいたい」と何度も頼むので、そのスナックへ一緒に行ったことがあります。

 

私が見たこの女性は見方によっては魅力的なのかもしれません。目が潤んでいて、異様に輝いています。口角が上がって口元はいつも微笑んでいます。ただ、この女性が同僚の男性を愛していないことは一目瞭然で分かりました。彼に対する思いを全く感じられなかったからです。ただ、彼の気持ちを利用して自分のビジネスに結び付けて、さらに彼を惑わして自分の欲望を満たしているだけでした。私にはこの女性が年をとっても今と同じようにさまざまな男性に気を持たせて、自分の物欲を満たしている様子がはっきりと浮かびました。その結果、彼女の周りはブランド品で満たされるかもしれません。でも、彼女の心はいつも空虚で、心から安らげる時間も場所も持つことができないのだろうと思いました。そして、こんな人生を送った後、人に生まれ変わることができずに”魅鬼”になってしまうのではないかと感じました。

 

他にも生きていったときに淫欲にのめり込んだ生活を続けている人が死後に生まれ変わる”跋鬼”(ばっき)。自分の誤った考えに固執して、他人の言葉に一切耳を傾けずに生きてきた人が生まれかわる”魍魎鬼”(もうりょうき)。邪教や邪神を信じて拝み倒し、生涯をそこに捧げた人が生まれ変わる”使役鬼”(しえきき)などがあります。

 

人から鬼に生まれ変わると、永遠に続く輪廻転生のループから外れて、もう二度と再生することが出来なくなります。やがて長い時間の中で鬼としての形も崩れ、暗黒の闇の中で霧散して消滅します。苦しみや痛みがあっても、喜びや安らぎも感じられる人としての人生をこれからも生きていきたいと思います。