絵画を撤去しようとした日の夜は、絵画から抜け出したご婦人は、いつもよりも大きな足音を立てて、階段をゆっくりと上がってきます。それはこの家のご夫婦に自分の存在をわざと見せつけているようでした。また、絵画のご婦人が寝室の前の廊下を歩く際に、何かの金属で寝室のドアや廊下の壁を叩く音が聞こえることもあります。翌朝に寝室のドアや廊下の壁をチェックすると、何かに擦られたような跡がついています。時には廊下の壁を足で思い切り蹴ったように、“ドカン”という大きな音が響くこともあります。

 

寝室の中でも異変は続きました。奥さんは寝室のベッドで寝ている時に金縛りに遭い、そのときベッドの真上の天井から真っ逆さまに絵画のご婦人の頭が出てきて、それはやがて顔全体になり、肩までになり、さらに両手を伸ばして、奥さんの首を絞めてきたことがありました。金縛りで奥さんは声を出すこともできません。ただ、うなされたような奥さんのうめき声にご主人が気づいて、奥さんの身体を激しくゆすって金縛りは解けました。その瞬間に天井から体を突き出していたご婦人も消えていました。しかし、奥さんの首には、赤黒い痣のような手の跡がしっかりと残されていました。奥さんはこのことがあってから、天井の木目を見ただけで絵画のご婦人の顔が思い浮かんでしまい、寝室ではなく、リビングのソファで寝ることにしました。

 

ただ、避難したリビングでも怪現象は続きました。ソファで寝ている時に、首筋に息を吹きかけられたように感じて目を覚ましました。驚いて体を起こすと目の前に絵画のご婦人の顔がありました。しかもこちらを睨みながら、口角は上がって不気味に笑っていました。ご主人は朝、洗面所で洗顔をして髭を剃っていたところ、洗面所の鏡には突然、自分の真後ろに立つ絵画のご婦人が映りました。こういった現象が続いたため、普段はこの絵画には大きな布をかけてご婦人の顔が見えないようにしています。今日は私がうかがいましたので、カバーの布は外していました。私はこの油絵を見た瞬間にこのご婦人と目が合ったのを覚えています。

 

以前、このブログで、学生時代に私が体験した絵画の話を書きました。それは一人暮らしをしていた私の部屋に、まったく持ってきた記憶のない“キリストの絵画”が置かれていたことでした。しかもその絵の中のキリストは、十字架に磔にされて、茨の冠をかぶらされていました。茨が食い込んだ額からは、傷口から真っ赤な血が顔全体に幾筋にもなって流れていました。

 

当時、貧乏学生であった私に絵画を購入するお金の余裕はありません。そして当時の私の友人関係にも絵画を購入するようなタイプは一人もいません。しかも、美しい風景画ではなく、額から血を流して磔にされている絵画です。この絵画がどこから持ち込まれたものなのかは今もって謎です。

 

そしてこの油絵が私の部屋にやってきてから、私はやること為すことすべてのタイミングがずれて、物事が上手く進まなくなりました。無意識の選択も悪くなって人間関係でもトラブルが続きました。そして体調面でもいつも疲れていてスッキリとしませんでした。今にして思えば、これは不浄霊の憑依や悪影響を受けた時に被る霊障で良く見られる状況でした。私は、信仰の対象であるキリストの描かれた絵画をゴミとして捨てることには抵抗がありました。したがって家の近くにあったキリスト教の教会にこの絵を持ち込んで引き取ってもらいました。

 

人や動物だけでなく物にも人の念(思い)はこもります。念がこもることができるなら、霊体も同じように憑依することができることになります。特に油絵という絵画は、制作する上でかなりの時間がかかります。それは制作者の思いやそこに書かれた人物の思いを背負いこんでいる可能性があるのです。私は何回かこの家に通い、このご婦人の供養をしました。そして供養がようやく終了した時、壁に食い込んで離れなかったこの絵は、何事もなかったように壁から離れたのでした。