今日の午前10時15分ごろ、大津市大萱の交差点でまた痛ましい事故が起こりました。現場は琵琶湖の南東岸に近く、付近は田園風景の中に住宅が点在している静かなエリアです。交差点で乗用車2台の衝突事故がありました。事故の弾みで車が突っ込みました。そこには散歩の途中で信号待ちをしていた13人の保育園児と保育士3人がいたのです。この16人の中の多くが突っ込んできた車になぎ倒され、園児2人が死亡して、重傷者も出ています。
何の罪もない保育園児の未来は一瞬で奪われてしまったのです。その無念さや親御さんの悲しみを思うと、本当に胸が痛みます。現場が東京から離れているため、池袋の事故の時のように今すぐに私が現地へ向かうことは出来ません。ただ、グーグルで現地を確認して、亡くなられた子供たちの冥福を祈って静かに手を合わせました。いずれ出張鑑定で近くまで出かけた際に、現場まで行ってマントラを唱えたいと思っています。
私が今回、この痛ましい事故を取り上げたのは、何か嫌なものの存在を感じたからです。事故や事件はそのすべてが霊によって引き起こされているわけではありません。本当に運悪く偶然が重なって起こる事故もあります。しかし、そもそも衝突事故というものは、0・5秒時間がずれていれば、ぶつかることはありません。ヒヤッとしたところで事故は回避されるのです。その0・5秒がたまたま合ってしまったことで事故は発生するのです。さらに衝突してコントロールを失った車が、何でわざわざ園児たちが待っている場所へ突っ込むのか。衝突した後、別の方向へ車が突っ込んでいれば、単なる車の衝突事故で終わったのです。ぶつかった2台の車の運転者は、事故直後に自動車運転処罰法違反で逮捕されていますから、大きなケガはしていないはずです。それが何かに引き寄せられるように、わざわざ16人の人間が立っている場所をめがけて突っ込んでいるのです。
”魔が差す”という言葉があります。それはまるで悪魔が心に入り込んだように、一瞬の判断や行動を誤ることです。ところがこのような痛ましい事故が起こるのは、たまたま魔が差したでは片づけられません。意図的に働く何かの力によって偶然ではなく事故が引き起こされたように私は思えてならないのです。
私たちが普通に目にすることのできる世界は、この世界の中のほんの一部分でしかありません。”パラレルワールド”という言葉がありますが、目に見える世界の裏側やもう少し深いところには、目には見えない世界があって、そこは微妙はパワーバランスによって常に動いています。目に見える世界と目に見えない世界は表裏一体となってお互いにリンクしています。そのため目に見えない世界のパワーバランスの変化によって、目に見える世界がゆがめられる瞬間が出てきます。これが”魔が差す”と言われる危険な瞬間なのです。