以前、高校生くらいの娘さんが、公園のジャングルジムにロープをかけて自殺をしたことがありました。この件は、以前このブログでも取り上げました。この娘さんは、自殺をする前に、交際していた彼氏と電話で喧嘩をしていました。ただ、それは死を選ぶような深刻な状況ではありませんでした。彼女は電話を切った後、自宅の近くの公園まで歩いていって、そこで亡くなりました。このジャングルジムではこの娘さんが亡くなる何年か前に、同じように若い娘さんがロープをかけて首を吊って自殺していました。今はこのジャングルジムは取り壊されてありません。近所の人の話では、夜中にこのジャングルジムで若い女性がしゃがみこんでいる姿の目撃談がいくつかあったそうです。その様子は泣いていたり、うつむいてたりしているのですが、一瞬、目を離してから視線を戻した時には、この女性は消えていたそうです。

 

ある廃神社の境内にある一本の木にロープを巻いて首をくくって亡くなった方が、3人はいると聞いたことがあります。私はある家に霊道ができてしまい、強い霊障が続いていたため、この家の敷地に結界を張って家を守りました。そのときこの家に流れ込んでいる霊道をたどって、いったいどこから不浄霊がやってきているのか確かめました。そしてこの廃神社に行き着いたのです。私は状況は分かりましたので、あえて神社の鳥居はくぐりませんでした。境内に入ることが大きな危険を伴うことを全身の感覚器が強く知らせていたからです。ただ、私が鳥居の外から境内を覗き込んでいると、そこにある1本の木に人の姿が重なって見えました。着物を着ている古い時代の男女でした。二人ともうつむいていたのですが、私が凝視していると、それに気づいて一緒に顔を上げました。一人は完全な白目でした。もう一人は目の中がうっ血して、真っ赤な血で染まっていました。この廃神社は駅へ向かう近道で人通りもあります。ただ、通勤途中にこの神社を通る人が、何人かこの木で自殺をしているのです。このように同じ場所で何人もの人が命を落とすことがあります。その数がどんどん膨れ上がってしまったものが、いわゆる”心霊スポット”になります。

 

この公園も廃神社も、誰かが手を下して自殺をほう助した痕跡はありません。そうなると警察は自殺として処理することになります。しかし、彼らは本当に自分の意思で死を選んだのか。私は大いに疑問を持っています。それは自殺をする人を手招きして呼び込んでいるものや背中を押している存在がはっきりと見えているからです。

 

人は出口の見えない暗闇に入ってしまった時、今の苦しみから解放されたくて、死にたいと考えることはあります。ただ、死にたいと考えることと、死ぬための行動を取ることとは、そこに大きな隔たりがあります。本当に死ぬ覚悟を決めて、自分で選んだ死に場所へ赴いたとしても、そこでもう一度、考え直したり、死をためらうことはよくあります。ただ、自分が死の手前まで歩みを進めてしまった時、そんな心に悪霊は入り込みます。そして目の前にある死を手繰り寄せて死の淵へ陥れてしまうのです。

 

どのようなことがあっても、辛くても苦しくても、絶対に死を選んではいけません。自殺は今の苦しみからあなたを解放するものではありません。逆に今の苦しみの何百倍も大きな苦しみを何百年にもわたってあなたにもたらすものなのです。