私は子供の頃に忘れ物を取りに、放課後の学校へ入ったことがあります。翌日の宿題をしなければいけない状況で、肝心の宿題のプリントを学校へ置いてきてしまったのです。時間は夜7時を回っていました。もう外は真っ暗で、校舎の中は職員室と用務員室だけ灯りがついていました。校舎の出入り口は開いていましたので、私は自分の教室を目指して、赤い非常灯だけが灯る暗い廊下を歩いていました。教室をいくつも通り過ぎましたが、誰一人生徒はいません。ただ、当時から霊感の鋭かった私は、いくつかの教室にいるはずのない人の気配を感じていました。当時の私と年齢の近い子供の気配です。一人で教室の椅子に座っている者や何人かで教室の中を走り回っている者や教室の後ろで談笑している者、一人や二人ではないたくさんの子供たちが校舎の中で過ごしていたのです。

 

私は彼らを見て、特に怖いとは感じませんでした。それはみんな一様に楽しそうに過ごしていたからです。彼らから悲しみや憎しみのようなネガティブな思いはまったく感じませんでした。ただ、私の身体の中では確実に警報が鳴っていて、彼らに近づいてはいけないと強く思っていました。楽しそうに教室で遊んでいる彼らの輪に入ることはとても危ないことだと理屈抜きに感じていたのです。

 

霊はしばしば突然豹変します。優しい顔をした美しい女性が、いきなり夜叉のような恐ろしい形相に変わったことが何度もありました。それは大人になってから体験したことですが今、目の前で楽しく遊んでいる子供たちの実体が、本当は異なることを子供ながらにどこかで感じていたのです。

 

人間は死んで肉体が無くなると、魂は肉体を抜けて現世にとどまります。そして魂は生まれたところから死んだ場所まで何度も辿りながら人生を総括していきます。そして自分なりに生きた時間(=人生)に答えを見出して納得したのちに、あの世へ上がっていきます。そこでは生きていた時の記憶を消されて、やがて来世へ生まれかわります。いわゆる”輪廻転生”をするのです。魂が生きた時間を振り返る中で、自分の思いの残るところには何度も訪れます。もし、皆さんが、タイムスリップしてあなたの過去の行きたいところへ行けるとしたら、きっと楽しい思い出の残る場所を目指すはずです。その結果、学校は霊や不浄霊が何度も訪れる場所になっているのです。

 

私は以前、このブログで”病院”は霊的に言うととても悪い場所であると書きました。お墓は霊的に怖い場所であるというイメージがありますが、病院はお墓よりもはるかに危険な場所なのです。学校は病院にとどまっている霊とは性質が異なりますが、霊がたまりやすいという意味では、病院に匹敵するくらい危ない場所なのです。

 

どこの学校にも怪談噺の一つや二つはあります。誰もいない音楽室のピアノが鳴っていたとか、理科室の人体模型が動いたといった類です。こういった話が枚挙にいとまがないのもあながち根拠がないわけではありません。学校の中でさまざまな霊現象が起こっていることから派生して”学校の怪談”は形作られてきたように思います。皆さんも誰もいない夜の学校にはできるだけ近寄らないようにしてください。数多くの魂(=霊)が集まっているということは、自分の波長に合った霊と遭遇する可能性も高いということなのです。