人間の感覚は本来とても曖昧なものです。実体を正確に感じ取っていることもあれば、まったく実体を反映していないこともあります。昔、高校生ぐらいの時に第2次世界大戦中にドイツ軍が行ったという拷問について話を聞かされたことがあります。確か生物か何かの学校の教師からです。

 

ドイツ軍の捕虜となった兵士が、手足を縛られ無身動きできない状態でベッドに縛り付けられています。すると医者のような人間が現れて、「今からお前の手首を切ります。手首からは血がどんどん滴り落ちていきます。そして血液が失われることでやがてお前は死ぬことになります。白状したくなければそのまま死ねばいい」と、そういったあとでナイフを見せながら目隠しをします。そしてナイフで手首を切りつけます。兵士は手首に痛みを感じます。そのあとで、ベッドから床に血液がポタリポタリを落ちていく音を聞かされます。そして医者は、500cc、1リットル、2リットルと出血量を兵士に伝えていきます。たいていの兵士はそのあたりで白状するのですが、それでも白状しない兵士は、自分の体内から血液が失われていく音を聞きながら、ついには心停止して死ぬというのです。

 

この拷問では、実際に手首からずっと血液が流れ続けているわけではありません。手首を切って出血しても傷が浅ければいずれ出血は止まります。出血が止まったあとは、実験として水か何か他の液体が床に落ち続けていくのです。それでも自分の血が流れ続けていると信じている兵士はその心理的なプレッシャーで死ぬことがあるというのです。この話の真偽を確かめたわけではありませんが、”ショック死”の中には、外傷性や出血性のショック死以外にも、精神性や神経性のショック死があることは知られています。つまり、この話が本当なら、”出血している”という実態とは異なる感覚によって自分を死に追いやることもあるのです。

 

私が行っている”霊視”は、まさに100%感覚的な作業です。占いにしても風水にしても何かの根拠(=理由)に基づいて回答を出しています。たとえば、「生命線がここで切れているから長生きしない」といった理由付けです。霊視には根拠(=理由)は何もありません。私が相手の方とつながってそこで感じた感覚がすべてです。ですからときどき相談者から「どうしてですか?」と尋ねられて答えに窮することがあります。私は頭に浮かんだことや感じたことを率直にお答えしているだけなのでそこに理由は何もないのです。それが結果として、未来と一致していることが多いので皆さん、尋ねてこられます。

 

したがって私としては、常に感覚を磨いています。曖昧で実体を反映しない感覚によって回答を出しているとすれば、正答率を上げるためには、自分の感覚を研ぎ澄ましていくしかありません。私は元々、周囲の人よりは鋭い感覚を持っていたと思います。それでも常にそのレベルをアップしていくように感覚を磨き続けていかなければ、いずれは皆さんの期待に応えられなくなってしまうからです。

”曖昧な感覚を研ぎ澄ましていくこと”

そのための方法の一つが、パワースポット巡りであり、読経であり、三蜜加持であったりするのです。

 

元々強い力を感じていた人が、ある時期を境に力が感じられなくなる時があります。それは有名になったり、お金が儲かったりして、この作業を怠ったことで、スポイルされてしまった結果なのです。とても残念なことです。有名でもなくお金持ちでもない私は今日もせっせと自分を磨きを続けていきたいと思います。