昨日は仕事の合間に少し時間が取れたので、埼玉県の中心部にある神社へ行ってみました。この神社へ行ったのは2回目になります。もう、10年ぐらい前に、知人の結婚式がこの神社で行われました。その時の記憶では駅の近くの広い道を歩いて、立派な参道を通ったこと。そして、広い神社の境内には、いくつもの神社が建てられていて、大きな池や駐車場もあったことです。

 

今回、事前にこの神社について調べてみると旧社格が”官幣大社”であることが目を引きました。官幣社とは、明治時代に国家神道が形作られた中で、国弊社とともに国が経営して、祭祀が行われ、宮司を任免した神社のことです。そして官幣社と国弊社では官幣社の方が格が上とされて、大社・中社・小社の順にさらに格は下がります。つまり、官幣大社とは最も格の高い神社で、具体的に挙げると出雲大社・明治神宮・諏訪大社・平安神宮など、規模が大きく有力な祭神を祀るごく一部の神社だけが許された社格になります。以前に訪れた時は、結婚式の合間に立ち寄っただけですので、機会があればじっくりと境内を歩いてみたいと思っていたのです。

 

私はカーナビの目的地にこの神社を設定しました。大きな神社ですし土地勘もあるので迷うことはまったく考えられませんでした。まず、最初に嫌な感じがしたのは、カーナビに表示されるはずの渋滞情報が出ていないのに、道が非常に混んでいたことです。この時点で何かおかしいと思い、ポータブルナビも作動させて、まずは道に迷わないようにしました。やがて渋滞も通り過ぎ、目的地の神社に近づきました。私の記憶では道幅の広い道路からスムーズに大きな駐車場へ向かう予定でいたのですが、もう神社は目の前なのに道幅がどんどん狭くなりました。道はやがて裏通りに入り、車がすれ違うことも難しくなりました。私はこの時点でカーナビを捨てて、視界の先に映る大きな森を目指すことにしました。そして車をその森へ向けて進ませたのですが、道はとうとう車1台通るのがやっとになりました。また、その狭い道を足の不自由な方やお年寄りが何人も私の方へ向かってくるのです。私はそのたびに車を停止して、皆さんが車を通り過ぎていかれるまで待ちました。そのあとも狭い道でのクランクが続き、またそのクランクには大きな石が狭い歩道を守るように設置されていたので、角を曲がるたびに車をこすりそうになりました。それでも神社の参道脇の狭い車道に出ましたので、まずは近くのコインパーキングに車を止めて歩いて参拝することにしました。

 

そしてやっと見つけたコインパーキングが考えられないほど駐車スペースが狭くて、ギリギリのドアの隙間から車を降りました。そこから神社の参道へ向かったのですが、どこまで進んでも参道には行き当たりません。気が付くと参道にも境内にも着くことができずに神社に隣接する公園に入ったのです。私はこの公園が目的地の神社の隣にあることは地図で確認していましたので、この公園から神社へ向かうことにしました。そして公園の中に神社へ向かう案内板を見つけました。そしてその指示に従ってようやく神社へ着いたのですが、その場所は本殿の裏に当たる脇道でした。つまり、表門の鳥居から入り、参道を通って本殿へ参拝するには、また何分間も道を後戻りしなければならないのです。

 

ここまできて私はやっと悟りました。「私はこの神社に呼ばれていない」と。「少なくとも今日は呼ばれていない」と感じたのです。きっとここで意地を張って表門の鳥居をくぐろうとしても、また何かのトラブルに遭遇することは明らかです。それならここは素直に引き下がって、次に機会があればまた訪ねてみようと思ったのです。

 

こういったことは過去にも何度かありました。首都圏で一番と言われるようなパワースポットでも、私と何か相性が悪くて、そこへ向かう際にも帰る際にも危うく大きな事故に遭いそうになったこともあります。強いパワーのある所でもその性質が自分と合わないときには、強い力が逆に作用することもあるのです。そんな時には素直に引き下がることが自分の身を守ることにもなるのです。