以前、このブログでキリストの油絵について書きました。それはどこでもらってきたのか今でもよく覚えていないのですが、学生時代、いつの間にか私の住んでいた部屋にキリストが十字架にかけられている様子を描いた油絵が置いてあったのです。大きさは30号ぐらいでした。そこに描かれたキリストは十字架に両手を杭に打たれて吊るされていました。両手からは真っ赤な血が噴き出し、顔は苦痛に歪んでいます。頭には茨の冠がかぶせられて額からも血が滴っています。
最初はあまり気にしていませんでしたが、この油絵を見つけてから何か人生の回りが悪くなりました。嫌なことや苦しい出来事が続いたのです。そこで自分があまり意識しないように、絵には布でカバーをかけて押し入れにしまいました。しかし、それでも悪い出来事が続いたので、最後は近所の教会へ行って神父さんに事情を話して預かってもらいました。最初は普通に廃棄しようかと思いましたが、人々の信仰の対象になっている方の絵なので、そのまま捨ててしまうことは心が痛んだからです。でも、今思い返してもあの油絵がどこから来たのか、あの絵が来てからどのようなメカニズムによって私の人生の回りが悪くなったのかは分かりません。
先日、出張鑑定で訪れた家で同じようなことがありました。私がうかがったということは、この家の状況は良くありませんでした。ご家族は全員が問題を抱えていました。問題の内容はそれぞれで異なりますが、私はその根源は同じように感じていました。何か目に見えないものの力によって、ご家族それぞれの人生がスムーズに進まなくなっていると感じたのです。
私はこの家に入る前にいつものように家の周囲を歩きながら、家の敷地や周囲に問題がないか探りました。その結果、敷地の土地にも周囲にも問題はありません。ただ、家の中に入ると”霊はく(=人の強いネガティブな想念)や生霊(=念)”とは違った重たい空気が充満していたのです。この時、頭に浮かんだのは、古い時代にどこかの種族が火や偶像を取り囲んで行う”呪詛の儀式”でした。仮面をかぶっている者や全身に泥を塗っている人もいます。動物が生贄として木にくくられて炎の中に突き刺されています。
私はこの気味の悪い動画の発信源を家の中で探しました。そして2階の納戸の中にその正体を見つけました。それは土偶を大きくしたような木彫りの像でした。頭からお面のようなものをかぶっているようで、無表情な顔がとても不気味です。右手には杖のようなものを握り、そこには蛇が幾重にも巻き付いていました。これはこの家のご主人が仕事でアフリカへ行ったときに、現地の人間からお土産として買ってきたものです。ただ、これを見た奥さんはとても怖くて正視できなかったそうです。子供も嫌がったため、目に付かないように納戸にしまい込んでいたのでした。
私はこの木像は呪詛に使われていたものであることを伝えました。そしてこの呪詛の儀式のために本当に人が亡くなっている可能性があることを伝えました。この木像にはとても強い怨念が刻み込まれているため、家の中にある限り、納戸にしまい込んでも家人に悪影響を与えます。
私の話を聞いて、奥さんはご主人と相談した上で、この木像を処分してほしいと私に頼んできました。奥さんもご主人もこの木像が諸悪の根源であると考えると、符合することがたくさんあると感じたのです。私はこの木像を燃やして中に込められた怨念を煙に載せて霧散させました。皆さんも何か嫌だと感じたものは家には持ち込まない方が無難です。それによって人生の流れを悪くさせてしまうことがあるからです。