先日、関西での出張鑑定を終えて新幹線で東京へ戻りました。時刻は夜の9時を回っています。私の乗った「のぞみ」は名古屋駅を定刻通りに発車して順調に東京へ向かっていました。電車は新富士駅、三島駅を通過して間もなく熱海駅を通過します。この辺りまでくれば、東京はもうすぐです。私はそんなことを思いながらぼんやりと車窓を眺めていました。そして「のぞみ」がトンネルに入った瞬間、私の目の前の窓に、突然人の顔が浮かび上がりました。くつろいでいた私は、驚いて思わず声が出そうになりました。

 

その顔は痩せこけてやつれていました。体は見えませんでしたが、首にはタオルを巻いてヘルメットをかぶっていました。年齢は50代に見えました。顔には土がたくさん付いていてかなり薄汚れていました。何かを訴えるように私を凝視している作業員風の男性は、しばらくすると車窓から消えていなくなりました。私の両手は気付かないうちに印を組んでいました。ホッとしたのもつかの間、しばらくするとまた別人の顔が車窓に浮かび上がりました。先ほどの男性よりも若く30代ぐらいに見えました。この男性も首にタオルを巻いてヘルメットをかぶっていました。今度は体まで見えましたが、土にまみれた作業服を着ていました。

 

車内はほぼ満席状態で混んでいましたが、他の乗客の気配は一瞬で消えて、私の視界は新幹線の外のトンネルにくぎ付けにされました。「のぞみ」は時速200キロ以上のスピードでトンネル内を通過しているのに、私だけが、「のぞみ」を飛び出してトンネルにとどまっているようでした。

 

私は天井や壁のあちこちから水が滴っているうす暗いトンネルの中にいながら、ふと昔のことを思い出していました。私の実家は横浜市内にあって、大学に入るまでそこで暮らしていました。子供の頃に仲良くしていた親戚の家が静岡県富士市にあって、しばしばそこを訪れていました。横浜から富士市へは、当時「東海号」という東海道本線の急行列車があって、いつもこの電車に乗って出かけていました。子供の頃に横浜から箱根を越えて富士市まで向かう一人旅はドキドキするような大冒険でした。私はいつも胸躍らせて横浜駅から東海号へ乗り込んでいました。車窓から見える相模湾の海や富士山はとてもきれいで見えなくなるまでいつも眺めていました。

 

ただ、富士市に着くまでに1か所だけ大きな難所があったのです。それは熱海駅と函南駅の間にある、当時、日本で2番目に長いと言われた”丹那トンネル”です。東海号は熱海で真っ青な海を見せてくれた後、すぐにこのトンネルに入ります。子供の頃から霊感が強かった私は、このトンネルを通過する間に、毎回のように数々の霊体験をしたのでした。

 

全身が泥水に浸かった作業員が両手を伸ばして私の足を掴んできたり、首を絞められたり。土砂に埋められて窒息する映像や苦しさに襲われたり。トンネルを通過するまでに私の身体にいくつもの傷ができていたこともありました。高校へ行く頃にはこの親戚とは疎遠になっていたため、電車で”丹那トンネル”を通過することはまったく無くなりました。その後も東京から西へ向かうときには新幹線を使いますので、東海道本線の”丹那トンネル”は通過しません。それでこのトンネルのことは完全に忘れていたのです。(2)へ続く。