「霊の影響を受ける」というと、霊=霊魂=死者の魂の影響を受けるというイメージがあります。私の中では肉体は魂が人生を送り続けていくための”借り物”です。魂が千年、二千年と生き続けるためには、それが可能になるだけの強靭で長命な器(肉体)を用意するよりも、50年から100年ぐらい生きることのできる器(肉体)を間借りして、それを乗り継いでいく方が合理的です。また、さまざまな肉体を乗り継いでいくことで、さまざまな状況の人生を経験することになります。それは魂を成長させる上で必要なことです。

 

つまり霊とは魂と考えても概ね間違いはありません。ただ、人が受ける霊的なものの影響は霊(魂)にとどまりません。魂が死霊だとすれば、生霊(念)の影響も同じように受けます。人は常にさまざまな思いを持ちながら生きています。そしてその思いは無意識のうちに周囲へ発信しています。さまざまな思いの中でも特にネガティブなものはそれを受けた人に悪影響を与えます。憎しみや恨み、妬みや嫉妬心などです。これらの思いを強く受けると、受けた人はタイミングがずれたり、無意識にしている選択が悪い方ばかりを選んでしまいます。肉体のバランスが狂うことで体調面も悪くなります。その結果、人生が上手く回らなくなっていきます。この状況は死霊の影響を受けた時の霊障と同じです。

 

これら死霊や生霊以外にも、霊的なもので人生に悪影響を与えるものがあります。たとえば神社には、そこに仕えている”眷属”がいます。眷属とは本来は神の意志を伝えるための使者として使わされるものなのですが、呪詛などを行ってきた悪い神職の使者として、人生の足を引っ張ったり、悪事を働くために使わされることもあります。具体的には蛇や狐などの動物や龍などです。

 

あとは”魔”とか”鬼”と言われるものです。魔とは”毘那夜伽(びなやか)”が知られていますが、分かりやすく言えば、人を悩まし苦痛を与えることを楽しみにする魔神のことです。中世のキリスト教の宗教画には大司教と悪魔が一緒に描かれているものが数多くあります。仏教の世界でも善神と悪神は表裏一体で、悪神は魔羅(まら)と呼ばれ、人に災いや破滅をもたらし、命まで奪い、世の中を破壊するものとして恐れられています。

 

また、”鬼”は、数多くいて、人の命を奪う鬼だけでも富恒那鬼(ふたんなき)、吉庶鬼(きっしつき)、毘陀羅鬼(びたらき)、阿跋魔羅(あばっまら)などがいます。今世で嘘をついて人を騙して生きてきた人が生まれかわってなると言われている魅鬼(みき)や、物欲や金銭欲が強く、人を助けたり施しを与えることなく生きてきてきた人が死後になると言われている怪鬼(かいき)、淫欲の強い人が死語になると言われている(ばつき)などがいます。飲食を施されずに常に飢餓に苦しむ餓鬼(がき)も有名です。

 

ここのことろ霊的なものの影響で人生が上手く行っていない方の中で、死霊や生霊以外の霊的なものの影響を受けている人が増えている感じがします。除霊はその過程で霊的なものの影響を受けている人から、憑いているものを私が吸い取って抜いていきますので、何が憑依していたのかはとても明確に分かります。