寿命とはその人が生きることができる最終ラインです。人は寿命以上に生きることは出来ません。それが3年の人もいれば100年の人もいます。ただ、仮に寿命が100年だとしても、それは100年間生きれること保証するものではありません。たとえば、若いころに無軌道な生活をして、バイクの事故で17歳で亡くなってしまった人がいます。彼は17歳で亡くなりましたが、寿命が17年だったかと言えば、そうでないケースの方が多くあります。本来はもっと長く生きることができたのに、自分の行動によって死期を早めてしまったのです。お酒を毎日浴びるほど飲んで、肝臓を壊して40代で亡くなる人がいます。この人の寿命も40代で終わっているわけではないのに、自分の行動によってそこで人生を終わらせてしまったのです。そう考えると仮に寿命が10年であっても100年であっても、寿命を全うすることができれば、人として幸せな人生を生きたと言えるのではないかと思います。

 

他にもさまざまなアクシデントによって寿命を全うできないこともあります。”魔が差す”という言葉がありますが、本当に運悪く、偶然が重なってしまい命を落とすこともあります。交通事故は1秒タイミングがずれていれば、アウトがセーフになります。本当に一瞬目を離したすきに、我が子が事故で亡くなってしまうこともあります。こういったケースでは、その人の寿命はまだまだあるのに命を落としているのです。

 

そして、残念ながらこのようなアクシデントは、霊視をしても感じ取れないことが多くあります。その人の人生の中にこのアクシデントが組み込まれていればそれは感じ取れます。ただ、本来その人の人生に組み込まれていないことが、何かの偶然によってたまたま発生してしまう事故は、予見できません。私もそんなアクシデントを見抜くことができずに悔しい思いをしたことは何度かあります。

 

私は入院しているこの方の相談を受けて、しばらく考えました。寿命を感じ取ることは出来ますが、果たしてそれを伝えるべきなのかどうかということです。霊視鑑定の際に、時々「私の寿命はどれくらいでしょうか」と尋ねられることはあります。そういったケースでは自分の感じたままにお答えしていますが、今回は差し迫っている喫緊の問題です。私が寿命を伝えることで、もしこの方が生きる希望を失って自殺をしたり、死期を早めることになったとき、私は責任を取ることができません。

 

霊的に鋭くなっているこの相談者は、私の気持ちを察したように私に話しました。

「シュンさん、私は自分の寿命を知ったからと言って、落胆して自殺をしたりはしません。ただ、人生の最後ぐらい、きれいに死にたいのです。家族や友人に伝えたいことがたくさんあります。死んだ後に家族が困らないようにいろいろと清算しなければならないこともあります。それらをやり残して死ぬのは無念ですから、寿命に合わせてしっかりと準備を整えていきたいのです。そのために寿命を教えてほしいのです」

私はこの方の気持ちを汲み取り、具体的に亡くなると感じた日時を明確にお伝えしました。そしてこの方は私が伝えた日の2日後に息を引き取りました。

 

この方が死に際して私宛にしたためた手紙には、感謝の言葉がたくさん書かれていました。この手紙は今でも大切に保管しています。