病気になってうれしい人はいません。誰でも痛い思いや苦しい思いをしたいとは思いません。ただ、霊的な感覚は、病気で苦しんでいるような状態になることで、より研ぎ澄まされてくることがあります。その最たるものは、”臨死体験”をして、それから霊的なものが見えるようになったというようなケースです。病気がどんどん悪化していけば、いずれは死を迎えることになります。そのギリギリのラインが臨死体験になります。以前にも触れましたが、霊的な感覚というものは本来、すべての人に備わっています。
太古の昔、人間が狩猟によって命をつないでいたころ、どこの集落にも”シャーマン”と呼ばれる人がいて神のお告げを伝えていました。集落の男たちが猟に出かけるときも、どの方向へ行って獲物を捕らえるのかは、シャーマンのお告げによって決められたことでしょう。狩猟時代を人間が生き抜いてこれたということは、シャーマンのお告げや人々の第六感は、あながち間違ってはいなかったことになります。つまり、霊的な感覚はこの時代の人たちは持ち合わせていたものと考えます。
ところが産業革命以降、物が大量に生産されて大量に消費されるようになりました。科学技術が発展して人々の暮らしが豊かになってきました。こうなると霊的な感覚に頼るよりも、さまざまなデータや経験を判断材料とした方が、正しい選択ができるようになります。人間は進化の過程で不必要になった尻尾が退化して無くなったように、必要のない能力は機能せずに眠ってしまいます。このようにして人間が本来、持っている霊的な感覚は、体の中で眠り続け、活用されることは無くなったのです。
ただ、人間は命のある生命体です。生命体である以上は命の危機にさらされれば、自分の持っているすべての能力を使って命をつなごうをします。これは心臓の筋肉が、私たちの意思にかかわりなく動き続けているのと同じように自分の意思に左右されずにおのずと行われていることです。命をつなぐために、自分の持っている能力をフルパワーで発揮する過程で、ずっと体の中に眠っていた霊的な能力が覚醒して、霊的な感覚が目覚めることがあるのです。そう考えると、臨死体験は極端ですが、そこまでの危機を迎えなくても、重い病気に罹っているような状態は、霊的な感覚が鋭くなるのです。
霊的な能力を開花させようとしている人が、その修行として何日間も断食をしたり、命を危険にさらすほどの苦行をするのも、このような意味があるからです。
以前、重い病気で入院している方から、自分の寿命を教えてほしいと頼まれたことがあります。この方は、家族や医師から告知されていないものの「自分は癌である」と私に話しました。周りの人が自分を気遣って告知しないことは分かるのですが、自分にとってはそれが却って負担であると話しました。そして告知出来ない状況を見ても、きっと回復することは望めないところまで癌が広がっていると言いました。入院してから霊的な感覚が日に日に開き始め、寝ている時に家の中の様子や家族の状況がしばしば浮かんでくるようになったというのです。それを見舞いに来た家族に伝えて驚かれたことが何度もあったそうです。(2)へ続く。