先日、テレビのニュースで、悲惨な交通事故の映像が流されていました。ぐちゃぐちゃにつぶれた車、そして、その車に乗っていた方が、何人か亡くなっていました。
”寿命を全うできなかったのかな”
そんな悲しい思いで画像をぼんやり見ていました。すると次の瞬間、事故現場に集まった人だかりが画面に映りました。すると集まった野次馬の多くが、スマホのカメラを向けて、つぶれた車を撮影していました。
”これはまずいなあ”
私は思わず、テレビの画面から目をそむけました。
髪の毛がどんどん伸びていく日本人形があります。彫刻の目から涙が流れていることがあります。これは物にも人の思いがこもるということを示しています。
こういった悲惨な事故現場を前にして、まず考えなければならないのは、”人が死んでる”ということです。事故の原因は分かりませんが、ここで無念の思いをして亡くなっている人がいるのです。それはものすごく大きなことなのです。肉体が機能を停止すると、魂は肉体を離れます。そしてしばらくは事故現場にとどまりながら、思いがけずに起こった出来事を認識して、自分が死んだことを理解していきます。つまり、事故現場にはしばらくの間、亡くなった方の魂が留まっているのです。それを写真に撮影するということは、スマホの中に無念の思いをしている魂が写り込まれることになるのです。自分が毎日、携帯しているスマホに亡くなった人の魂が写り込まれている状態を想像してみてください。どれだけ鈍感な人であってもそのことが自分にとってプラスに働くとは思えないはずです。
ところが今の時代、多くの人が何かあればスマホを取り出して、その状況を撮影しています。それは非常に危険なことなのです。霊や念の影響がその人の人生を狂わせることはこのブログでもたびたび書いてきました。災害の現場や事故現場には亡くなった方の魂が留まっていることを強く認識してください。その状況を写したスマホを持つことは、自ら進んで人生の足を引っ張られる方向へ進んでいることに他なりません。
私は偶然、事故現場に遭遇した時、思わず目を背けて、その状況に心を奪われないようにします。本当は心の中で亡くなった方の一日も早い成仏を願って手を合わせたいのですが、それをやると確実にその魂を呼び込んでしまい、下手をすれば霊障を受けることになります。そんなことが過去に何百回もありました。ですから亡くなった方と同調しないように目を背けて別のことに意識を向けています。それも悲しいことですが、そうしないと自分を守れないからです。
今はいつの間にか国民のすべてがカメラマンになったような状況ですが、被写体をちきちんと考えて撮影しなければ、そこから自分の人生がゆがめられてしまうこともあるのです。