言葉には言霊と言われるように力があります。ここでいう言葉とは”音に出した言葉”のことです。つまり、正確に言うと音には力があることになります。今、私の家の近くでマンションの建設工事が行われています。私の住まいは都心の通りに面したところに建てられたマンションですので、元々窓は二重サッシになっていて防音対策が施してあります。したがって工事の騒音も今までは全く気になることはありませんでした。ところが今日はクレーンが資材を釣り上げるとき、エンジン音がある一定の領域に入ると、頭痛がするくらいに不快になり、自分でも驚きました。クレーンは時々、その音程のエンジン音を発するのですが、そのたびに鳥肌が立つ思いです。きっとこの音程に反応しているのは私だけで、工事現場の人も道を歩く通行人も何事もないように通り過ぎていきます。
私は除霊などでマントラを唱えますが、この時に発する声は会話で話す声とは違ったトーンを出します。この音程は概ね決まっていますが、厳密にいうと毎回、少し変化させています。除霊では口ではマントラを唱えますが、頭の中では憑いている霊と戦ったり、曼荼羅を思い描いて三蜜加持をしたり、経文を読むこととは別の作業をしています。同じ人であっても影響を与えている霊によって、どのトーンがもっとも効果を出しているのか、毎回それを感じながら音程を少し変化させています。そして違うと思えば、すぐに修正して有効な声の高さを探ります。つまり、除霊のマントラを唱える中では何度も”転調”しているのです。
私はときどき、「生まれてくる子供の名付け親になってほしい」と頼まれます。このとき私が重視するのも名前の”音”になります。私は特に字画に詳しいわけではありませんし、名前の文字はそれほど重視していません。ただ、縁起がよさそうとか運気がアップしそうな良い文字を選んでいるだけです。ただし、名前の音にはこだわります。それは人生で自分に向けられる最も多い言霊は、自分の名前だからです。言霊(=音)に力があるとすれば、良い名前であればよい効果を生みますし、悪い名前であれば、人生を困難なものにしてしまう可能性があります。だから良い響きのある名前にしたいのです。
今日はクレーンのエンジン音に反応している自分に気づき、改めて音には力があるのだと感じさせられました。