私が出張鑑定で相談者のご自宅を訪ねた時、よく「暑くありませんか」とか「寒くありませんか」と、エアコンの温度を気遣っていただくことがあります。そんなとき、私はいつも決まって「大丈夫です。ありがとうございます」と答えます。何でいつもそう答えるのかというと、部屋の暑さや寒さは私にとってまったく問題ではないからです。実際は暑いと感じていても寒いと感じていても、部屋の温度がどうなのかは私にとって非常に優先順位の低い問題なのです。同じように睡眠や食欲、もっと言えばトイレについても私にとっては優先順位が低いことですので、どうでもよいとしか感じません。

 

例えば「起きていろ」と言われれば、3日間寝ないで仕事を続けることができます。逆に「眠っていろ」と言われれば、丸2日間眠り続けることもできます。食欲についても同じです。「食べるな」と言われれば、3日間、水だけ飲んで過ごすこともできますし、「食べろ」と言われれば、1時間おきに食事をとり続けることもできます。トイレについても特にお腹を壊していなくても、15分おきに通うこともできれば、丸1日トイレを我慢することもできます。

 

いつの頃からこんな体質になったのか分かりませんが、気が付いてみたらこうなっていました。おそらく日常的に霊の世界をリアルに感じ、或いは意識が飛んでしまい、気が付いたら知らない街の知らないお店で覚醒したりしているうちに自分の存在さえよく分からなくなってしまったからだと思います。今でも時々、自分が現実の世界にいるのか、過去の世界にいるのか、霊の世界にいるのか分からなくなるときがあります。そんなときは、自分が今、西暦何年のどこの町で生きているのかを自分自身に確かめます。そこまで自分が追い込まれていると、眠いとかお腹が減ったとか寒いとか、そういうことは本当にどうでもよいと思えてくるのです。自分が今、2018年の日本で確かに生きていると認識できることの方が、本質的な問題としてはるかに重要なのです。自分の存在自体やアイデンティティーと比べれば、これ以上に大切のものはありません。

 

ですから別の言い方をすれば、私はこだわりを持ちません。こだわりを持って生きることは、一見するととても格好よく見えます。ですがこだわりを持つことは、その分、自分で自分の生き方を苦しくします。未来へ向けて大きく広がった扉を自ら狭めていることになるのです。私はいつもこだわりを持つよりも”自然体”で生きていたいと思っています。どれだけ幹の太い大木でも、風速50mの風に何時間もさらされていれば、いつかはポキンと折れてしまいます。でもいつも風に揺られている柳の木は、50mの強風が吹いてもその風に乗って折れることなく揺らぎ続けます。

 

人間も同じです。ブルドーザーのようなパワーで数多くの問題を次々に処理できる人は、一見すればパワフルで強力です。しかしそういった生き方を何十年も続ければ、いつか必ず心が折れてしまいます。私のところにはそんな優秀でパワフルな企業戦士がたくさん相談に来ます。会社のために、家族のために一生懸命に奮闘して心が折れてしまった企業戦士たちです。頑張ることはとても大切です。ただ、自分のペースを守ったり、自分自身のメンテナンスをしたり、力を抜いて生きていく方が、結果として遠くまで進めることも忘れないでください。