昨日は夜11時からワールドカップサッカーの韓国対ドイツ戦が行われました。私は現在、浄霊を行っていますので、夜9時から2時間弱のマントラを唱えました。それが終わった後は深夜12時からまた次のマントラを唱えなければなりません。1時間の休憩時間中に気持ちを切り替えないと疲労が抜けませんので、何気なくテレビをつけたところ、この試合が中継されていました。
韓国のランキングは世界で57位です。一方のドイツのランキングは世界1位です。両チームともにここまで2試合を戦い韓国は2敗、ドイツは1勝1敗です。ドイツはこの試合に勝たなければ予選に当たるグループリーグを突破できません。2敗をしている韓国は勝ってもグループリーグを突破できる見込みはほとんどありません。この状況で両チームは戦いました。
私が中継の映像を見ながら感じたのは、韓国選手の素晴らしい闘志でした。試合が始まった直後から韓国選手からは強い覇気を感じました。覇気とは辞書を引くと、「進んでことに当たろうとする意気込み。覇者になろうとする気持ち。人に勝ってのし上がろうとする野望・野心」と書かれています。それはこのまま1勝もできないまま母国には帰れないという危機感迫る強い思いでした。
一方のドイツ選手ですが、良く言えば”落ち着き”なのでしょう。ボールをほとんど支配して、ゆっくりとボールを回しながらチャンスをうかがっています。しかし、韓国選手から感じるような強い闘志や覇気は感じられません。1位対57位の対戦ですから、むしろ勝って当たり前の余裕さえ感じました。そして韓国選手は常にピッチを走り回り全力でボールを追いかけていました。私が画面を見ると、いつもドイツ選手よりも韓国選手の方が数多く映っていました。それは韓国選手が如何に必死でボールを追っていたのかを表しています。ドイツ選手は次から次に攻撃を仕掛けてシュートを放ちますが、1本もシュートを決めることができずに前半を終了しました。
私は12時からマントラを唱えるため、後半戦を見ることはできませんでしたが、何かこの前半の流れに波乱の予感が立ち込めていました。そして結果は2対0で韓国が勝利しました。この結果は前半戦を見た私からすると十分に納得のいくものでした。如何にドイツが1位として個人技や組織力に優れているとしても、韓国選手も全員がプロ選手ですから大学生と中学生が戦うような大きな力の差はないのです。
野球でもサッカーでもわずか10センチの差でアウトがセーフになり、バーに当たったボールがゴールに吸い込まれることになります。このわずかな差は人智を超えたところで形作られます。ですから大事な試合当日にこのわずかな差を有利にするために、私に「パワーを送ってほしい」と依頼してくる人がいるのです。この人智を超えたところで形作られるものは、技術でも戦略でもなく、選手の何が何でも勝とうとする”気力”そのものです。私は根拠のない”精神論”はむしろ否定的に考えていますが、選手たちの覇気が結果を作ることをまざまざと再認識させられた試合でした。韓国メディアは今朝からこの勝利を”歴史に残る奇跡の勝利”と呼んで選手をたたえていますが、奇跡を生み出したものは人の気力であると強く感じました。