以前、テレビ番組の仕事で、「都内の交通事故が多発している交差点を霊視してもらいたい」と頼まれたことがあります。番組スタッフは事前に交通事故の多い数か所の交差点をピックアップしていました。そしてそれぞれの交差点について、いつ、どのような事故が発生して、どのような犠牲が出たのかをまとめていました。私はそのデータを見ながらスタッフと一緒に現地を回って霊視していきました。
現場に立つと本来はまったく霊的な問題ではなく、交差点の構造にリスクが潜んでいるところもありました。運転者から見て交差点に入ってくる歩行者が見えずらいところや、交差する道路が交差点に入る直前まで死角になっているものもありました。ただ元々はその土地が霊的に問題がない交差点であったとしても、事故が続いて死者が出てくるようになると、問題は構造上から霊的なものに変わっていきます。
人は肉体が活動を停止して亡くなると、魂は肉体を離れて現世にとどまります。そして自分が生まれたところから死んだ場所までを何度もたどりながら自分の人生を総括していきます。そして自分にとって人生とは何であったのか、自分なりの答えを出して納得してあの世へ上がっていきます。つまり、魂は自分が死んだ場所に何度も訪れるのです。そのときにもし、その魂の持つ霊的な波長と運転者の霊的な波長が合えば、運転者の心身にその反応は現れます。そして一瞬の判断がずれることで事故は発生します。そうやってその交差点を訪れる魂が増えていくことによって同調できる運転者の数も増えていき、事故は多発するのです。
これは”自殺の名所”と言われる心霊スポットが形成されていくプロセスと同じです。そこで自殺をした人の魂が、また、同調できる人間を呼び込んでそこで自殺する人が増えていきます。
ですからその土地に悪い因縁因果や祟りがなくても、私が訪れた交差点はすべて霊的な意味で危ない交差点になっていました。以前、このブログでも私が四国の松山で交通事故を鑑定したときのことを記しました。そこの現場は交差点ではなくまっすぐの直線道路でしたが、その場所で亡くなった魂と運転者の霊的な波長が同調することで事故が発生することは同じです。
思えば私も屋外で不浄霊などを拾ってしまい、心身の反応に苦しめられることは何度もあります。その中には、赤信号で車を止めてふと歩道を眺めた時、そこに置かれた花束が目に入ってしまい、その瞬間に事故の様子がフラッシュバックして、亡くなった方の霊に憑依されたこともあります。ですから私は道に置かれた花などを目にしたときは、すぐに視線を外して目に映る景色を代えるようにしています。
私の知り合いはニュースをできるだけ見ないようにしている人もいます。ニュースで悲惨の事故や事件の報道を見ると、その状況がリアルに頭に浮かんでしまい気持ちが悪くなるからです。皆さんも人の死につながるような光景を目にしたときは、同情したり悲しんだりするよりもあえてその状況から意識をそらす方が霊的な意味では安全だと思ってください。