”実るほど頭を垂れる稲穂かな”という言葉があります。この言葉の意味は、真に偉い人や人格者ほど、謙虚であるものだというたとえです。逆に言えば、周囲の人に高圧的であったり尊大な態度をとる人は、偉い人でも人格者でもないということです。確かにその通りだと思いますが、私のように日常的に霊や念といった目に見えない世界を感じている人間からすれば、この言葉を別の意味で受け止めています。
先日、原因不明の体調不良や不眠で苦しんでいる女性の相談を受けました。病院へは何か所も通ったものの特に悪いところは見つからず、心因性ではないかと言われて、精神科で抗うつ剤や向精神薬を処方されたものの一向に改善しないということです。私はこの女性と会った瞬間に、強い負の念が全身にこびりついていると感じました。私は自分が感じた状況を率直に彼女に話しました。ただ、彼女は「人から恨まれるようなことは全くしていませんし、誰かが私を憎んでいるなんて見当もつきません」と答えました。
私は彼女についている負の念の正体をじっくりと感じ取りました。するとそれは憎しみや恨みではなく”嫉妬”であることがわかりました。ただ彼女は「私はいたって平凡に生きていて、お付き合いをしている彼もいませんし、特に美人でもないし、お金持ちでもありません。どうして私が嫉妬の対象になるのでしょうか」と困惑するばかりでした。
以前、このブログでも書きましたが、人の念(生霊)はほとんどの場合、出している本人も気づかないまま出ているものです。ですからそれを受ける側に自覚がないことは当然のことです。そして自分が人から恨まれるような行動を取ったか取らないかに一切関わりなく、念は一方的に出す人の思いだけで飛んでくるのです。
私は彼女に向けられた嫉妬心の理由を探っていきました。そしてたどり着いた答えは彼女の”若さ”であることがわかりました。人の気持ちは大変難しく制御しにくいものです。平凡に謙虚に生きていても、若いというだけで人に嫉妬心を抱かせてしまうこともあるのです。これはもう100%彼女に責任はありません。それでも病院へ何か所も通うぐらいに心身に悪影響を及ぼすこともあるのです。私はすぐに彼女の部屋に結界を張り、外出時に彼女の霊的な間口をブロックするパワーストーンを渡しました。その結果、彼女の状態は改善されて、とても楽になったと連絡をもらいました。
彼女のようにただ、若いというだけでも人から念を受けることがあります。それがもし、他人に尊大で高圧的な態度を取っていたらどうなるでしょうか。多くの人から負の念を飛ばされて足を引っ張られていれば、社会的地位を得ることも、人として成長していくことも難しいでしょう。
”実るほど頭を垂れる稲穂かな”
私から見ると、偉くなったから頭を垂れたのではなく、人からの悪念を受けないように、謙虚に生きてきたから出世をしたり人格者になったとこの言葉を解釈しています。人の念(生霊)はある意味、死霊よりも厄介で怖いものなのです。