私は若かった頃にいわゆる”バブル時代”経験しました。私は特に金融業や不動産業に就いていたわけではありませんので、バブル景気といっても具体的に何か大きな恩恵を受けたわけではありません。ただ、世の中全体が何か浮かれたように明るく元気だったあの頃の空気は今でもよく覚えています。

 

その頃はクリエーターと言われるコピーライターやデザイナーやアーティストも持てはやされていました。彼らはマスコミにたびたび登場しては自分や自分の作品を強く主張していました。そして多くの若者が時代の先端を走っていたクリエーターにあこがれて、彼らが経営する学校で学びました。当時、彼らはマスコミのインタビューを受ける中で人生は”こだわりを持って生きなさい”とよく言っていました。彼らは自分たちの作品を取り上げて、自分が何にこだわってこの作品を作っているのか語りました。そして人生も「こだわりを持って生きるべきだ」と話していたのです。

 

当時の私は、時代に持てはやされていた彼らの言葉を「そんなものなのか」と思いながら聞いていました。まだ、人生について深く考えてもいませんでしたし、霊感や直感を仕事に活用して充実したサラリーマン生活を送っていました。しかし、今は私は彼らの言葉は完全に否定します。こだわりを持って生きることは、自分で自分の人生を生きづらくしていきます。何万人という方々のさまざまなの相談を受けてきた今の私からすれば、”こだわりを捨てて風のように自然体で生きること”が、幸せな生き方であると確信しています。何かにこだわりを持つことは、そこに執着を生み出します。執着は気力・体力を消耗させ、時間を浪費させます。

 

たとえば、さまざまな問題を短時間で的確に処理することのできる人がいます。ブルドーザーのように強く、能力が高く、どんな問題もへこたれずに解決していきます。一見すると”ものすごく強くて優秀な人”に見えます。ただ、こういった方は50歳を前にして気持ちや心が折れてしまうことがあります。私はそんな人たちの相談を何度も受けました。人間はどれだけ強くて優秀な方でも、エンジンを常にフル回転して走り続けていれば、いつかは壊れてしまいます。

 

私から見て本当に強い人は、部下の前で上司からとことん叱責されて怒鳴られて、「会社を辞めてしまえ」と言われても、次の日に何事もなかったように笑いながら「おはようございます」と言えるような人です。こういう人は決して折れません。何を言われても”柳に風”のように受け流していられる人は、結局は問題処理能力の高い優秀な人よりも遠くまで進みます。”こだわりを捨てて風のように自然体で生きること”私もそんな生き方をしていきたいと常に思っています。(5)へ続く。