私は、この件によって自分自身が救われたことに気づいたとき、さまざまなことを考えました。もし、私があのとき猫を助けたことで会社をクビにならなかったとしても、私が翌日に事故を起こすことはなかったと思います。それは事故を起こしたドライバーと私では、運転の仕方が異なります。同じコースを走っていたとしてもまったく同じ時間に事故を起こした交差点を通過することはあり得ません。出会い頭の事故は、コンマ5秒時間がずれていればぶつかりません。そこを私がこのドライバーと寸分たがわず同時刻に通過することはないからです。
ただ、この会社の労働環境を考えると、いずれは私が事故を引き起こして大けがをしたり、まかり間違えば死んだり、誰かを傷つける可能性は十分にありました。私が本音では「辞めたい」と思っていたことは、私の中で警鐘がなっていたことに他ならないからです。そういった意味では私は確かに救われたのです。
また事故の後、この運送会社は事故を起こしたことを荷主の食品会社から追及されて、この会社からの仕事を切られました。この食品会社の仕事がこの運送会社の8割を占めていました。ドライバーも数少ない中で、私はクビになり、事故でもう一人は仕事ができなくなり、2人を失いました。結果的にこの事故から2か月ぐらいしてこの運送会社は倒産しました。
私から見てそのことは、社会に対して悪をもたらしているものが、自然淘汰されたようにしか思えませんでした。私がそのきっかけを作ったことは間違いありませんが、もし、私の件が無かったとしても、いずれ誰かが事故を起こし、誰かを傷つけてこの会社はつぶれていたように思います。長年にわたり、たくさんの人や組織を見てきた中で、間違ったことを続けているものが未来にわたり長く栄えることはないと確信しています。大げさに言えばそれは”自然の摂理”なのだと思います。だから私たちは正しく生きていかなければならないのです。それが何よりも自分自身が幸せになるための最短コースだからです。
このことがあってしばらくしてからロシアンブルーの猫はもう1度私の夢に出てきました。このときも非常にリアルな夢で、猫はベッドで寝ている私の足の上に飛び乗り、私の顔に向かって私の上をゆっくりを歩いてきました。猫が足を進めるたびに布団の上から猫の重さが伝わってきました。今回もこの猫は私の胸のあたりでとどまり、私の顔をジッと見つめていました。私は金縛りにあったように動くことができません。すると一声かわいい声で”ニャー”と鳴いたあと、目を細めて私の頬に自分の頭を何度もこすりつけてきました。その感触はしっかり残っています。そしてベッドから飛び降りると振り返り、ゆっくりと帰っていきました。それ以来、この猫の夢は一度も見ていません。私は、自分の取ったちょっとした行動からたくさんのことを学ばせてもらいました。