“因果”という言葉があります。因は原因の因。果は結果の果です。仏教の考え方の中には善い行いをすれば、良いことが起こり(善因善果)、悪い行いをすれば悪いことが起こる(悪因悪果)という考え方があります。言い換えるとすべての結果には原因があるということでこれを縁起(説)と呼んでいます。
この考え方は広く浸透しています。私に相談をする人は、すべての方が悩みやトラブルを抱えています。そして悩みやトラブルが多ければ多いほど、「なぜ、こうなってしまったのでしょうか。その原因はどこにあるのでしょうか」と私に尋ねます。
たとえば前世と今世を考えた時、前世の人間関係は今世の人間関係に大きく影響しています。それは前世でどのような仕事に就いていたとか、地位が高かったとか低かったとか、そういったものではありません。それよりも自分が周りの人と良い関係を作っていたのか悪い関係を続けていたのかが今世の人生を楽なものにするのか厳しいものにするのかのポイントになります。
たとえば前世で妻にDVを続けて苦しめていた夫が、今世では逆の立場で妻になり、夫からDVを受けていたケースがありました。過去世において敵同士だった人が、今世では職場の上司と部下になり、ずっとパワハラを受けていた人もいました。前世で夫婦だった人が今世では親友になったり、前世で兄弟だった人が、今世では恋人になるなど、前世で自分の近くにいた人間関係はその形が変わるだけで今世に反映されます。ですからここには“因果”の関係が成立します。
では今、通りですれ違ったざまに私にぶつかって通り過ぎた人は、来世でも生まれ変わって出会うのかと言えば、私はそこに因果は成立しません。因果によって引き起こされる問題が必然だとした場合、因果に関係なく問題が起こることもあるのです。もし、すべての問題が因果によって引き起こされているなら、理不尽にも霊の問題で苦しんでいる方は、苦しむだけの原因を過去に作っていたことになります。
仏教でいう因果は、今世だけでは解決されません。過去世の因果が今世や来世に反映されることもあります。それでも、私は、本当に誠実に生きて優しい気持ちを持っている方が、過去世を含めて何の原因もないのに霊障で寝たきりになってしまったようなケースをいくつも見てきました。
ですから霊の問題の本質は、各人の持っている霊的な波長が不浄霊の霊的な波長と合うのか合わないのか、その1点で決まると考えます。そこに因果は関係していません。その上で因果によって霊的な問題が引き起こされる場合は、その人の人生にもその人の肉体にもかなり強く影響が出るのです。
先日も、本当にひどいトラブルばかりを抱えて、どうしてここまで苦しめられなければならないのか、私自身が切なくて胸が張り裂けそうになった方から相談を受けました。ただ、そのトラブルを一つ一つ検証していったときに、因果に関係していない問題がいくつも出てきました。それは“偶然”としか言えない問題です。偶然がそれほど何回も続くことがあるのか。あるのです。そういうケースも過去に何度もありました。
ですから一見、霊障と思えるような問題でも、すべてを霊の問題になすり付けるのではなく、冷静な心を持って感じ取っていかなければなりません。