こういう仕事をしていると、さまざまな場面で人間の”欲”の怖さを実感させられることがあります。たとえば霊視をして未来を見るときに、そこに欲が入り込むと判断を誤ります。
よく「霊能者は他人のことは見えても自分のことは見えない」といいます。これはある意味当たっています。霊視をするときには見る人の霊的な波長に合わせて時間を先へ進めて、その人の目線で未来を感じ取ります。その時にはものすごく集中しなければいけませんが、あまり意気込んで見ようとすると却って何も浮かんできません。念を飛ばすときと同じように、脳の波長はリラックスしている時に出るアルファでなければなりません。ですから集中していても、どこか冷めていて、心を静かな状態に保たなければいけないのです。これにはコツがあって私は何万回という試行錯誤を繰り返しながら、今ではすぐにその状態に入れるようになりました。
この静かで冷めた状態に入る上でもっとも障害になるのが”欲”なのです。人間はそもそも誰もが欲を持っています。物欲や金銭欲に限らず、貧しくても静かに暮らしたいと願うことも欲です。この欲が絡むと気持ちが乱れて集中しにくくなります。さらに心の中がざわざわして静まりません。したがって正確な霊視ができなくなります。
私も皆さんもみんな欲を持っています。ですから自分の未来を見ようとすれば、そこに「幸せになりたい」とか「健康で暮らしたい」といった欲が必ず入り込みます。その結果、自分の未来を見ることはできなくなります。対象が他人であるから冷静で客観性を持って未来を見ることができるのです。
私は大学を出たあと、普通に就職をしてサラリーマン時代を過ごしたことがあります。当時は仕事が終わった後、会社の近くの居酒屋へ同僚や先輩と一緒によく出かけました。ある時、いつものようにみんなでお酒を飲んでいると、同僚の一人がいきなり競馬新聞を広げました。週末にはJRAのG1レースがあるため、彼は真剣に予想を始めたのです。一緒に飲んでいたメンバーも彼と同様にそれぞれがレースの予想をしています。私は競馬に特に興味はなかったのでその会話には入りませんでした。
すると同僚の一人が私にどの馬がくるのか突然尋ねてきました。私は何となく思い浮かんだ馬の番号を口にしました。すると同僚は「その馬は来るはずない」と言って笑いました。過去の実績がなく、まったく人気のない馬だったからです。結果はその馬は1着になり、配当は万馬券になりました。
月曜日に会社に行くと私はいきなりヒーローになっていました。多くの社員から何で分かったのか」と聞かれました。私は自分の霊感の話をするのも面倒だったので「ただ、なんとなく」と言ってその場をごまかしました。そしてまた金曜日にみんなで居酒屋へ行くとまた週末のG1レースの話で盛り上がりました。私はまた、予想を聞かれたので、目を閉じてゴールに何番の馬が最初に駆け抜けるのかを想像しました。そのときは番号は見えませんでしたが、騎手は白いヘルメットをかぶっていました。白のヘルメットは1枠の騎手が被ります。そしてやはり1着には1枠の馬が入りました。
こんなことが1度も外すことなく10回くらいは続きました。そして金曜日に私と一緒に居酒屋へ行く社員の数はいつの間にか倍以上に増えていました。そうなると私も欲が出てきました。同僚や先輩社員から、私の予想で大儲けをしたと毎週聞かされているのですから、私も儲けたいと思ったのです。
そこで私は予想を伝えたあとで馬券を買いに行く同僚にお金を渡して、私の馬券も一緒に買ってきてくれるように頼みました。
それからです。
今まで10回予想してそのすべてを的中していた私の予想は、まったく当たらなくなりました。たまに偶然当たることはありましたが、馬券を買う前にいつも的中していたような神がかり的な的中精度は戻りませんでした。
今はその理由はもちろんわかります。私が欲をかいたからです。何気なく馬の番号やヘルメットの色を伝えていた時の私は完全に無心で霊視をしていたのです。私が馬券を買うときはもちろん、馬券を買わないときでも、心のどこかでいつしか「みんなにいいところを見せてやろう」という気持ちになっていたのです。それが霊視を狂わせていたのです。(2)へ続く