私が考えている未来は、運命的に生まれた時からあらかじめ定められている未来と、自分自身の選択・判断・行動によって作り出していく未来が混在しています。
「未来は生まれた時からすでに決まっている」と考えると、さまざまな面で矛盾が出てきます。人は生まれた時点で未来の可能性は限定されています。どれだけ頑張っても、「その国に生まれたこと」「その家に生まれたこと」で、将来、作り出せる未来は限られています。
ただその中にあっても、自分自身が努力すること、一生懸命に行動することで、未来を良くすることはできます。1年先、10年先の未来を良くするためには、その目標に到達するしっかりとしたプロセスを作り、一歩一歩そのプロセスを実行していくことが必要です。思考ではなく行動することで目標へ到達できるのです。頑張ったことで未来が良くなるということは、すなわち現時点で未来は決まっていないということになります。
それでは努力によってすべての未来が開けるのかと言えばそうではありません。たとえば病気によってわずか3歳で亡くなってしまう子供がいます。この子は自分や親の行動が悪いから死んでしまったのでしょうか。決してそんなことはありません。どれだけ頑張って病気と闘い、親が精一杯の愛情を注いでも、不幸にして命が尽きることは現実としてあります。これはまさに”運命”だと感じます。寿命は運命的に決められたものなのです。
また、妊娠や出産も運命的に決められています。子供ができないことで悩んでいる夫婦はたくさんいます。この夫婦にしても自分たちの努力が足りなくて子供ができないわけではありません。どれだけ子作りに励んでも、医師のアドバイスにしたがっても、どうしても妊娠できないケースはあります。妊娠や出産というのも私から見ると、運命的に決められたものだと感じます。
よく体外受精や人工授精を”神の領域に踏み込むもの”として、倫理的に問題視する専門家がいます。私からみると、それは本来、運命的に決められたものを人の手で作り変えてしまうことになるので、神の領域に踏み込むと捉えているように思います。
人生では多くのものは自分の努力や選択・判断・行動によってより良いものに変えていくことはできますが、運命的に変えることができない領域があることも確かなのです。