以前、”アカシックレコード”について尋ねられたことがあります。アカシックレコードとは、宇宙が誕生したときから、今そして未来に至るすべての事象、あらゆる出来事や個人の感情に至るものまで、それらがすべて記録されているもの=アカシックレコードが存在しているという考えです。したがってそれを読み解くことができれば、個人的な人間関係から国家間の戦争や貧困や疫病、人生の意義や生存の問題など、すべての問題を解決する糸口になるわけです。中には自称”アカシックリーダー”を名乗り、自分はアカシックレコードを読み解くことができると主張する人までいます。
そもそもアカシックレコードが存在しているのかどうか。私はそう尋ねられた時に、「それは概念としては認められても、実際に存在するものではない」と否定しています。その理由は未来は今の時点ですべてが決定づけられているわけではないからです。
私の感覚でいうと、未来は映画のシナリオのように、すべてのストーリーがあらかじめ書き記されているわけではありません。今を生きる私たちが、その選択や判断、行動によって作り出しているのです。
たとえばわずか1週間先の未来であっても今の時点で決まってはいません。来週の日曜日に自分がどんな1日を過ごしているのか想像してみてください。友人とどこかへ出かけているのか、家でゲームをしながら過ごしているのか、会社で仕事をしているのかなどです。今の時点では久しぶりに実家へ帰ろうと考えていたとしても、友人からのたった1本の電話でその予定は変わってしまうかもしれません。今週、仕事がはかどらずに、納期に間に合わなくなれば、休みを返上して会社へ行かなければならなくなるかもしれません。つまり、たった1週間先の未来もこれから7日間の自分の行動によって変わっていくのです。それが5年先、10年先の未来となればなおさらです。
もしアカシックレコードがあるなら、これからの5年間、10年間の私の選択や判断、行動があらかじめすべて記録されていることになります。そして私と同じように状況によって選択や判断を変える人間が世界中に74億人も生きています。その過去から未来に至るすべてを記録している装置が一体どのようなものであるのか、私には想像することさえできません。
それでは私が考える未来とはいったいどのようなものであるのか。次回はそのことについて触れていきたいと思います。(2)へ続く。