ここのところ、私が実際に感じた霊的に危ない場所をお伝えしてきましたが、方針を元に戻してみようと思います。理由は”隅田川”にしても”刑場周辺”にしても、書いている中で私がその場所をリアルに感じてしまい、かなり具合が悪くなってしまったからです。どちらも悪い意味で強烈なインパクトのある場所です。ブログを書きながらその場所の景色が脳裏に浮かんだ瞬間に体が反応してしまい、吐き気や頭痛、めまいが襲ってきました。それを1日おきに続けていくのはかなり堪えます。仕事に影響が出てしまっては本末転倒ですので、こういった話だけでなく、普通の話も交えながらブログを続けていくことにしました。
そこで今回は私が感じた最も危ないスポットを紹介して区切りを付けたいと思います。
私が横浜市出身で鎌倉の高校へ通っていたことはこのブログでも書きました。横浜市民からすると鎌倉は手近な観光地で遊びでちょくちょく出かける場所です。高校へ入学した時に鎌倉までの定期券を手にしてすごくうれしく思ったことを覚えています。それは遊びで出かける場所へ毎日通うことができるからです。私は放課後に鎌倉市内の名所旧跡や海、そして神社仏閣を訪ねては鎌倉への通学を楽しみました。
ただ、鎌倉という場所は、過去には”鎌倉の戦い”と言われる凄惨な戦のあった場所です。鎌倉は南に海があり、東と北と西は山に囲まれた天然の要塞です。この戦では鎌倉幕府への不満を持った武士たちが新田義貞のもとに集結し、鎌倉幕府の第14代執権「北条高時」を三方の山から責め立てました。幕府軍の勢力は千人ちょっと。一方の新田義貞軍は60万人とも言われています。必死で持ちこたえていた幕府軍も引潮を利用して稲村ケ崎を海から突破されると総崩れになりました。
負けを覚悟した北条高時や北条一門の女子供は、北条家菩提寺の東勝寺へ逃れます。そこも敵に囲まれて死を覚悟した北条一族は、寺に火をつけ、次々に自害していきました。男子は切腹しましたが、自分で死ぬことのできない女性は二人一対でお互いに喉を突き合いました。幼児や子供は母親が殺し、母親もその後で自害しました。その数は800人とも900人ともいわれています。
東勝寺は今は無くなり、この場所は”北条高時腹切りやぐら”として今に残っています。ここが最悪なのです。鎌倉では由比ガ浜に簡易裁判所を立てるときの工事中に、900体以上の人骨が見つかっています。同じく由比ガ浜の海岸近くに地下駐車場を作るときには3千体から4千体の人骨が見つかりました。逗子市との境には、小坪トンネルや名越トンネルといった有名な心霊スポットもあります。ただ、そのどこよりもこの”腹切りやぐら”は強力で危険なのです。
私は高校生の時に、いつものように放課後に散策して、この場所を偶然見つけました。この腹切りやぐらは、何とハイキングコースの脇にあるのです。
私はこの場所に近づくにつれて全身から冷汗が滝のように吹き出しました。頭はグルングルン回りだして立っていられなくなりました。寒気がして頭と背中が激しく痛みだして息もできないほどでした。本当に死ぬのではないかと思ったことを今でも覚えています。
それはここにとどまる北条一族の数多くの不浄霊に私の体が強く反応したために起こったことです。鎌倉の戦いは1333年に起こっています。つまり、684年が経過した今でも、ここで亡くなった北条一族の怒りや悲しみ、そして無念の思いは一向に晴れることなくこの地にとどまっているのです。