今は都内の心霊スポットなどで私が霊的な意味で危ないと感じる場所をお伝えしています。奥多摩方面の○○トンネルや廃墟などは、ネットを見ればたくさん出てきますので、私の実体験の中でお伝えいたします。
以前、このブログの中でも”国道を歩く霊”というタイトルで神奈川県の小田原から東京都品川区南大井の鈴ヶ森刑場跡まで歩いていた女性の霊のことを書きました。隅田川に続いて危ないと感じる場所は、間違いなくこういった”刑場跡周辺”になります。
江戸時代から明治時代初期にかけての都内の刑場では、鈴ヶ森刑場以外に、東の刑場と言われた東京都荒川区南千住の”小塚原刑場”と、西の刑場と言われた八王子市大和田町にある”大和田刑場”が”江戸三大刑場”と言われ有名です。これは江戸に入る”東海道”と”日光街道”と”甲州街道”沿いにありますので、江戸に入る犯罪者が罪を犯さないように見せしめるためにこの場所に作られたと言われています。
これらの刑場ではそれぞれ10万人以上の罪人やが磔刑(はりつけけい)や火刑(かけい)といった残酷な方法で殺されました。当時の司法制度は今のような三審制ではありませんし、捜査をする奉行所では拷問によって無理やり自白させることあって、罪人の中のかなりの数が無実の罪で罰せられたと思われます。
また、有名なこの三大刑場以外にも、”札の辻刑場”や”高輪刑場”、”本町処刑場”や”日本橋刑場”など、東京の狭い中心部の中にいくつもの処刑場がありました。
大きな刑場跡では周辺のかなり広い範囲が心霊スポットのようになっていますが、小さな刑場跡では刑場のあった狭い範囲のみが祟られています。これらの刑場は今では整備されてそんな面影が全く残っていないところもあります。
ただ、私はこういった刑場跡の近くで、獄門(=江戸時代にあった6種類の死刑の方法のうちの一つで、首を切り落としてしたあと、首を三日二晩さらしものする公開処刑)に遭って、首のない不浄霊が、行き場が分からなくてフラフラとさまよい歩いているさまを何度も目撃しています。
もし、運悪く江戸時代の罪人の不浄霊などと波長が合ってしまうと大変です。まず、罪人自体がかなりの恨みの念を受けていますので、その念の影響もかぶってしまいます。そして時代が古いので、罪人の霊が自分と波長の近い他の不浄霊を何体も呼び込んでいます。
つまり1体の不浄霊ですが、何体、何十体という負の念を背負いこんでいるような存在です。こんな霊に憑依されれば、受ける霊障もかなり重篤なものになります。
歴史的に見て悪いことの合った場所には決して近づかないことが賢明です。