私がまだ学生だったころ、一人住まいをしていたアパートの部屋に額に入った油絵が置いてありました。「置いてあった」というのは、私はこの油絵を買ったわけではありませんし、誰かにもらった記憶もありません。今、思い出しても、どこから私の部屋にこの絵がやってきたのかはさっぱりわからないのです。

 

しかも描かれているのは十字架にかけられたキリストの顔でした。このような絵ですから見ていて楽しくなるわけはありません。それでも、ゴミに出して捨てるのも何だか悪いような気がして、ずっと部屋の隅に置きっぱなしになっていました。

 

ただ、ちょうどこの絵が私の部屋にやってきてから私のタイミングがずれはじめ、無意識にしている選択や判断、行動も明らかに悪い方を選ぶようになっていきました。その結果、物事がスムーズに進まず、体調も今一つすぐれなくなったのです。

 

今でしたらこれは霊的なものの典型的な影響だと判断できます。ただ、何でも霊のせいにするような考え方には反発を覚えますし、当時はそれが霊的なものによるものか、単に人生の流れが悪くてそうなったのか、その見極めがまだ不明確でした。

 

ですからこの絵のことはあまり気にしないようにして、悪い流れの中で私はもがいていたのです。そんなある日、決定的なことが起こりました。普段は絵の上にタオルをかけて、キリストの顔が見えないようにしていたのですが、その日に限ってタオルが落ちて顔が見えていました。ちょうど寝る前に、私はベッドの中からぼんやりとキリストの顔を見ていました。そしてあることに気づき、びっくりして飛び起きました。

 

茨の冠をかぶったキリストの額にしたたる血の数が明らかに一本増えていたのです。額に描かれた血の筋は3本あったのですが、それが4本になっていました。血筋の数が多ければ見間違えることもありますが、3本が4本ですから見間違えることはありません。

 

私は驚いて絵の前まで進み、増えた血筋をおそるおそる指で触りました。その瞬間、絵の中のキリストは私に向かって、大きな目をギョロリと向けたのです。そして右手の人差し指の先に、血のような真っ赤な液が付着したのです。

 

私は翌日、近所の教会を探して、キリストの絵を引き取ってもらうように神父さんに頼みました。神父さんは私の話を聞いて苦笑いを浮かべましたが、快くこの油絵を引き取ってくれました。

 

今となってはいったいこの絵は何の目的で私の元にやってきたのか知るすべもありません。ただ、物には念がこもることと、霊的なものに対して人の心と体は、頭よりも敏感に反応することはよくわかっています。皆さんも何か最近物事がうまく進まないと感じた時は、何がそのきっかけになったのか身の回りの物を確認してみると良いです。