私は霊的な間口が広いため、自分の波長と離れた人(霊)ともつながることができます。今では生きている人でも亡くなった霊でも、ほぼ9割ぐらいの人(霊)とつながることができます。そのため私が望まなくても、私の前に霊が現れることが数多くあります。

 

たとえば私がこれから除霊や浄霊を行おうとするとき、霊はそれを妨害し、自分の力を示すために私の前に現れます。或いは亡くなった後、あの世へ上がる道筋を見失った霊は救いを求めて私の前に現れます。時には事件に巻き込まれて亡くなった霊が、自分の遺体を見つけてほしくて私に頼ってきたこともありました。

 

さまざまな理由で現れた霊に対して、多くの場合、私は見て見ぬふりをしてその場を通り過ぎます。それは今ここで彼らの望みをかなえてあげる時間や気力・体力がないからです。もし、余裕があれば、彼らの遺体を探しに行ったり、魂を供養してあの世へ押し上げたりすることもできます。ただ、常に予定が詰まっていて、もう何年間も休みなく、本当に大晦日や元日も仕事をしている状況の中で、彼らに付き合うだけのゆとりがありません。

 

そんな時に最も悪い対応は、中途半端に彼らと関わることです。もし、私が彼らと関われば、私を頼ってくる霊は藁にもすがる思いで私にしがみついてきます。そんなときに途中で

「やっぱりあなたの面倒は見れません」

は、彼らには通用しません。ですから最後まで彼らの面倒を見る覚悟がない中では、私は彼らをスルーするしかないのです。

 

ただ、多くの場合、いくら気づかないふりをしていても、彼らは私が”分かる人間”であることに気づいています。ですから私の目の前で通行を妨害したり、顔を目の前まで近づけてきて息を吹きかけてきたりします。霊は本来は死霊です。その息は霊独特の強烈な悪臭がします。それでも私が無視をしていれば、私のほっぺたをさすってきたり、頭を叩いてくることもあります。だいたいそのあたりで私がキレると、霊は自分がやられる危険を感じて、あっという間に退散します。

 

霊は普通の人には見えませんし、感じることもできませんが、物質的な肉体を持たないだけでそれ以外は生きている人間と同じです。怒ることもあれば、おじけずくこともあれば悲しむこともあります。

 

そして退散した霊ですが、ほとんどの場合、そのあとも私に着いてきます。私の後ろを離れて歩いてくることもあれば、時速100キロで走っている車の横で笑いながらこちらを見つめていることもあります。車に張り付いているわけではありませんが、どれだけ速度を上げてもずっと車の外にいます。また、しばらく見ないので、諦めたのかと思っていると、突然、地方都市の宿泊先に現れることもあります。

 

人の思いというものはそれだけ強いものです。ですからその思いをプラスに転化できれば不可能を可能にすることもできます。逆に良い道筋を歩んでいても悪い思いを持った瞬間に流れは逆方向へ向かいます。私はよく相談される方に”意識”の話をしますが、人の意識はその人の未来を作る上で大変重要であるとともに、霊の世界においても大きなウエイトを占めています。