親子の壁というものがあるならば、
私はその壁の前にいた。
とてもとても冷ややかにそれを見つめ、
もしかしたら一生崩れることのないものとしてあざ笑っていたと思う。
その壁が崩れた。我が子によって。


親子の壁。
それは親子という近すぎる関係性ゆえに生まれる、
甘えだったり憎悪だったりの感情による真実の愛への阻害と私は考える。
子どもの頃からずっとこれを味あわされてきたゆえに、高く高くそびえる壁ができた。
親の仕事の忙しさにかまけた育児放棄は、私を苦しめ、過食へと誘った。炊飯器から直接飯を食らう幼児の姿を見かけたら普通であれば異常と誰もが思うだろう。

親からの愛情不足から、人から愛される又は人を愛する行為に自信が持てなかった。というよりよくわからなかった。
愛とは何か?この問いは十歳の頃には始まっており、後に宗教に入るきっかけになるのだけれど、
それでもそこが教えてくれたのは他者への愛であり、身内への愛ではなかった。家族とは無条件に愛すべきものとして扱われ、私の家族愛への根本的疑問の解決にはなりえなかった。
私は反抗心はありながらも仕方なく娘を演じ、長女という役割をこなしながら家業である惣菜屋に従事してきた。今年で三十年になる。

ずっと抱えたこの家族愛への抵抗は新しい家族を迎えたときにありながらも、とりあえず妻、もしくは母親を演じることでごまかし続けていた。そうすることでなんとか家族の形を保ちつづけたけれど、それはとても甘えにみちており、私を苛立たせ、娘と妻と母親のすべてを演じなければならないことに疲弊していた。
家族、親子への壁は日々高くなり、とても窮屈で私を苦しめた。

理由はこれだけではないけれど離婚を決めた。そして三十年従事した家業を辞める決意もした。私は壁の外へ出る選択肢を取った。自由に生きること又は私を甘やかし苦しめるものからへの自立は、私を成長させると確信したからだ。

我が子である息子だけは不思議な存在だった。
ちっちゃい頃から世話のやける子で、とはいえ憎めないおとぼけキャラで、イジメられてもおかしくない性質は備えてはいても不思議と周囲からは許容されていた。
そんな息子とも別れる。
頭では理解していたし、むしろお互いに成長の機会だとさえ思っていた。しかしその時が迫るとどうだろう?思うたびに涙が溢れてしまう。
母親が我が子を思う愛なのか、それとも別のものなのか、私は再びこの親子の壁に対峙することになった。

壁はボロボロにもろくなり、今にも崩れそうだ。
長かった。まさかこんな日が来ようとは。感じるよ、壁の向こう側。
親子を超えた愛、だろうか。 
家族でもなく、親子でもない、人と人。
この基本的な関係に立てて初めて突破できた。
たまたま家族だったから、親子だったからそのような言葉を使われてしまうだけで基本の愛は変わらない。

息子からの愛は感じていた。
私はそれを拒絶し続けていた。
完全に甘えからくるものと思ったからだ。
しかしそれだけでない愛を見た。
アニメを笑いながら一緒に観て感じたのだ。
朝、くだらないギャグをかます姿に感じたのだ。
今までの当たり前の日常を全力で楽しむ息子を見て、ようやく気づいた。
私との時間を純粋に愛していると。

別れることがなければ気づかないままだったかもしれない。灯台もと暗し。近すぎて気づくことができなかった。

卒業式も出れないまま別れを迎えてしまうことに辛い悲しみをおぼえていたけれど、サッカー部の三送会が春休み中に学校で行なわれるので、息子とまた再び会える。
最後の食事は外食にするかウチで食べるか聞いたら
ウチが良いと言った。
かわいいヤツめ。私のカレーより給食の方が旨いとか、おにぎりはコンビニの方が美味しいとか言っていたくせに。
特別にちょっぴり豪華な食事にしてやろう。
その日から三日後に控えた誕生日の祝いも込めて。
今のうちにたくさん泣いておこう。息子の前で涙は見せないように。
やることはたくさんあるな。壁のむこうの景色は愛に満ちた世界だ。