朝、骨折した左足のリハビリで左足を爪先立ちしてかかとあげをひいひいとやりながら

あまりきついので気を紛らわせようと朝ドラを観ました

(皆さん、できますか? わたしは10回でもう力尽きます・・)

 

そこで平等や妻の無能力についての話がありました。

 

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

これは、現行の日本国憲法14条1項。

 

「妻の無能力」を定めていた改正前の旧民法(1896・1898年)第14条は、
①妻が左に掲げた行為をなすには夫の許可を受けることを要する。
1,第12条第1項1号から6号に掲げた行為
2,贈与若しくは遺贈を受諾し又はこれを拒絶すること
3,身体に羈絆を受けるべき契約をすること
②前項の規定に反する行為はこれを取り消すことができる。   

というもの。

 

1にあげられている第12条とは、「準禁治産者」(ほぼ現在の被後見人)の規定で、

出来ない法律行為を定めている。その6つの行為とは:

「元本を領収し、又はこれを利用すること」「借財又は保証をすること」「不動産又は重要な動産に関する権利の得喪を目的とする行為をすること」「訴訟行為をすること」「贈与・和解又は仲裁契約をすること」「相続を承認し又はこれを拒絶すること」

 

女性は婚姻して妻になると、法的には後見人(夫)のもとで「無能力者」となり、一定の法律行為をすることが出来なくなる・・・

たとえば、労働契約、住居の賃貸借契約、学校などに入学する契約、銀行口座を開設する契約・・

夫の法的な承認がなければ

→働けない、一人で住む家を探せない、勉強するための学校への入学が出来ない、自分のお金を銀行で管理することができない。

 

「妻が夫の家に入る」という家制度の中で、夫と妻の間には法的な上下関係があり、

妻は、無能力者=準禁治産者(現在の被後見人)と同じ立場に置かれていた。

 

明治憲法には「平等」規定がないので、こうした不平等を「差別」と訴える事も出来ない・・

 

女性にとって,自由に生き方を選べない悲惨な時代ですね。

 

これに対して日本国憲法(1946年)は「法の下の平等」を定めたので、

それにともなって1947年に民法が改正され、ほとんどの差的な規定は削除されました。

残ったいくつかの規定も、近年、最高裁の違憲判決で改正されてきています。

(非嫡出子相続分差別規定や女性のみ再婚禁止規定など)

 

寅子は、

そんな、女性に対する無能力者という位置づけが社会の意識(常識)となっていた時代に生きていたけれど・・

1932年に明治大学専門女子部(1929年開校)に第4期生として入学し、

1935年に法学部に入学が認められ、

1938年、高等試験司法科(司法試験)に、久米愛、三淵嘉子、中田正子の3名が国内初の女性合格者がでます。

寅子のモデルである三淵嘉子は,その後裁判所長にまでなるそうです。

 

この背景には1933年に弁護士法が改正され、

それまで弁護士資格は「日本臣民ニシテ・・・成年以上ノ男子タルコト」(第2条第一)と定められていたのが、

「帝国臣民ニシテ成年者タルコト」と改正され、女性も弁護士になることが出来たことも大きいです。

 

ちなみに、1933年当時に女性に門戸を開いていた大学は、

理科系では九州帝大、東北帝大などで、法学部は明治大学のみでした。

 

寅子の人生をどこまでたどるドラマか分かりませんが

当時の女性に開かれたほんのわずかな可能性のすきまを

堅実に歩んできたという印象を受けます。

 

こういう先達の開いてくれた道の上を歩いていると考えると

色々と思うところがあります。

後から来る人のために,何が出来るのだろう・・。

 

これから毎朝、ひいひいとリハビリをしながら

虎に翼を観そうです😂