昨日、25日11時〜のNINEを観劇しました。
地方からの日帰りだったので疲れましたが、今朝もまだNINEの事を考えています。
実は21日にマチネとソワレの2枚のチケットがあったのですが
台風のためにリセールしたので、昨日が初めての観劇です。
それで、オーブの席に着いたときには、やっとみられると期待感マックス。
幕が開いて・・左端の暗がりに立っている長身の女性・・礼華さんですね。
うつむいて、視線は舞台の中心で繰り広げられている情景には向いていません。
(礼華さんの女性役は、女性は女性でも犬タイプの女性と思いました。
はかなげで優しい印象ですが、芯があって真っ直ぐ。
多くの娘役さんは猫タイプの女性を演じることが多く、朝美さんがキャロルを演じたときも猫タイプのように感じました)
グィードの鳳月さん、スタイリッシュ。
脚本の締め切りに追われている様子。アイディアが枯渇した? という恐怖も。
グィードを巡る、グィードと関係があったと思われる女性達。
その人と居るときには、君だけを愛している、とごまかすグィード。
弱いんですね。人が離れていくのが怖いんですね。
一人で立てるような安定した自我を形成できていない・・
さらに、仕事でも自信がない?
私生活をウリにしてきた脚本による成功のせい?
人生や人間,自分自身を、深く考えることから逃げてきた?
プロデューサーのラ・フルール(輝月さん)登場。
スポンサーでもあるので、迫力がすごいです。
アシスタントの切れ者、ステファニー・ネクロフォラス(朱鷺あおいさん)も
グィードの脚本構想に鋭くダメ出しを。
この朱鷺あおいさん、これまで気づきませんでしたが、後半でうたう歌声が素晴らしいです。
聞き惚れました。
そして、1幕の最後、衝撃的なシーンが続きます。
9歳だったグィード、修道院の寄宿学校にいたグィード。
好奇心でサラギーナという浜辺に一人で住む女性に会いにいくと・・・
ここのシーンは、子どもに対する性的な暴力の暗喩なので
インティマシー・コーディネーターが介入していたのでしょうか?心配です。
桃香雪さんの歌やダンス、芝居が素晴らしいだけに
もう少し短くするとか、少年の関与を少なくするとか(桃歌さんだけのダンスや歌とか)・・
痛ましい気持ちで見続けることが辛かったです。
でも、最後に、少年グィードは嬉しそうにサラギーナに手を振っているので
唯一優しくしてくれた人という記憶なのでしょうか?
ママ(夢奈瑠音さん)、優しいお母さんで、歌も表情も声も素晴らしい・・
ただこのサラギーナの場面では、ママの対応がもっと違っていたなら,と思わずにいられません。
子に心を理解する親ではなく、カトリックの規律に縛られ、世間体を気にするだけの親だったことが描かれています。時代の制約でしょうか・・
この辺で1幕は終了。
2幕は、砂浜でのグィードと礼華さんのクラウディアの場面。
ここではじめてクラウディアがはっきりと気持ちを表してきます。
グィードが、生きている,現実のクラウディアではなく、幻想の(理想の)クラウディアだけを観ていること、「愛している」という言葉が空虚(その場限りの嘘)であること、
そして女優としての自分に確たる自信が持てないでいること・・
Unusual way・・
美しい嫋やかな寂しげな声・・
特に、最後に、グィードと掛け合いでうたう最後のところ、切なすぎて思わず涙が出てしまいました。
その場面から最後まで一気にグィードの周りが変わって行きます。
冒頭でグィードが布をかけた幾つかの箱、少しずつ開けられますが
そこにはグィードが隠したい色々・・・
現実の自分に向き合わざるをえなくなったグィード。
人は誰も嫌な過去の自分に目をつぶり現在を生きていますが、
グィードはこれまで弱すぎた。
また、才能というもろい夢にかけた映画監督という人生。
最後に妻のルイーザが手を振り返すのはなぜ?
すべての女性が笑顔で手を振り返すのはなぜ?
ここだけ違和感がありましたが・・
主人公を孤独の中に沈めて幕・・でも余韻があって良かったのではと思いました。
最後に,全体を通して感じたのは、鳳月さんはとにかく歌が素敵。
あれだけ歌っても、声はがつややかで引き込まれました。
それに、月組の皆さんも、歌がとっても上手! どの方の歌も聞き惚れました。
本公演でも,色々な方にもっと歌を!と切に要望します。
本当に良い舞台でした。
ドールハウスのような背景の意味、迫力のある音楽、
どの場面でもどの人を観てもしっかりと人物が生きている。
記憶に残る舞台となると思います。
本日、配信を観劇します。
フィナーレも含めて、もう一度観られることに感謝!!
