これで、またひとつ魂が上に行けた!





修行になった。


私はイヤなことを、イヤなことだと感じません。


「いい修行になったな」

「これで、またひとつ魂が上に行けた」と思うんです。


何が起きても、幸せの方向に持っていく。

それは「意思」です。


幸せになるには「意思」が必要なんです。


不幸とは

「感情のままに生きる」という事です。


感情に流されて生きると不幸になります、


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あ、

上記は残念ながら私の立派な名言ではなく、

斎藤一人さんのお言葉です。




私が経験した精神医療地獄体験。


それも修行だったんでしょうか?


修行期間長すぎたような気もするのですが。


約5年間近く「闇み期間、病み期間」過ごしました。



まぁ、

でも結果的には現在、

「幸せと言っていいかな」という現状に着地できてるので、

修行だったのかもしれませんが😅



死にかけた修行でした。

命懸けの修行っていかがなものでしょう?!



「魂がひとつ上に行けた」とは思いませんが😆。


でも、

おおらかにはなりましたね、確実に。


過去記事にも何度となく書いてますが、

何かイヤなことが起きても


「命とられるわけじゃないし」

「ま、いいかぁ」

思えるようにはなりました。



同じ断薬経験者でこんなことを言ってた人がいました。



「自分はこんなに辛い経験をしたから、

そうじゃない人が甘く見える。


自分は世の中の真理?に気づいた目覚めた人だから、

そうじゃない人が愚かに見える。」



なーんて、

ビックリなことを言ってた人もいましたけどね。



私は、そのような想いはありません。


人間って他人にはわからないけど、

それぞれに何かしら抱えていたり辛い経験をしたり

してるもんだと思ってるので。


特に、

40年50年も生きてきたらハッピーで順調でした!

我が人生一切トラブルなし!


なんて人の方が稀です。



こういう辛い修行のような経験をすると、

宗教やスピにハマったり、

変なものにお金かけたりする人もいます。


そういうのにもハマらなくて良かったわぁ。



向精神薬断薬して精神科とは縁を切ったけど、

変なモノに依存して変な世界に入り込んでいくのも

微妙ですよね。


自分だけならいいけど、

家族巻き込んだりしたら、

それはそれでまた家族も辛いことになる。


特に子供は可哀想です。




人生って本当にお天気と同じだと思う。


晴れの日もあれば嵐の日もある。

雨が降り続く時もある。