20年間以上東京大学病院精神科で勤務後、

還暦にして都立松沢病院院長になった

(平成6年より)精神科医風祭元氏の著書です。




この本では、

都立松沢病院の歴史についても書かれてます。



松沢病院は明治12年に設立された東京府癲狂院から、

東京府巣鴨病院を経て都立松沢病院になってます。




明治以前は精神疾患を総称する用語として

「癲狂」という言葉が使われてました。



今も使えばいいんですよ!



敷居を低くするために、

心療内科とか心のクリニックとかメンタルクリニックとか名前を変えたのは、

逆効果だと思うんですけどねぇ。



流石に「癲狂院行ってきまーす」とは気軽にSNS上で言えませんよね(笑)。





この本の中で、

「わが国の精神科医療のあけぼの」

という章があります。


普通の人と比べたら行動の明らかにおかしい

「気の狂った人」や、知能の発達が遅れて社会生活が

人並みに出来ない人々は昔から存在していた。



それらの人々に対してはその時代で様々な処遇を受けていた。


小田晋氏の「日本の狂気誌」によると、


我が国で狂気についてのもっとも古い記載は、

古事記にみられるスサノオノミコトだそうです。


その後、

日本霊異記、今昔物語、古今集などにも精神病者と思われる人の記載があるそうです。


柳田國男の「遠野物語」にも精神病患者らしい人がたくさん現れてる。


8世紀に出来た養老律令には、

すでに「癲狂者」は、

税や役務を免除されて保護されるべきとの記載がある。



江戸時代になり、我が国で初めて精神病についての

単行書が発行された。

「癲癇狂経験論」である。


わが国の精神科病院の起源の一つは、

犯罪者や浮浪者などの都市問題から派生した収容施設。


江戸時代に、

それらの人々を収容する場所として「養育院」が設立された。


そして明治時代になり、

その中に「狂人室」が設立され始めた。

それが後に「癲狂院」になり

「精神科病院」になるわけです。



ちなみに松沢病院のルーツは、

明治時代に上野護国寺内の養育院の敷地内に建設された「狂人室」です。



「狂人室」ってすごい用語ですね。



メンタルクリニックなんてオシャレにせず、

狂人クリニックという名前にしとけば、

日本もこんなに安易にメンタルクリニックに通い、

自ら永遠の精神病患者になる人が減ったかもしれませんねぇ。



精神医療の歴史を知ることは重要と思います。



精神医療が医学から始まったものでないと、

よーく理解できますから。


キ◯ガイを排除するために始まった

ものです。





ここで難しいテーマがあります。


精神病は存在するのか?


これは難しいです。

大昔から今でいう統合失調症や双極性1型とされる

症状、状態の人は一定数いました。



治せるか治さないかは別として、

社会にそのままでいることができない状態の人。

家族ですらお手上げになる人。



コロナ禍の中、

八王子の滝沢病院での虐待が問題になりました。

異様に死亡退院数が多く、

そのような人を「骨退院」と言うらしい。


そして、

骨退院を望む家族も少なくはないという現実。



家で家族では面倒見ることは不可能。

どこかの精神科病院に死ぬまで入院させて隔離しておきたい。

退院するなら死んで「骨退院」を望む家族が現実にいる。



個人的には、

精神科医も精神科病院も嫌いですが、

そういう面では存在意義があることは理解できます。



問題は、

妙に綺麗な言葉に病名を変えたりして、

イメージ戦略でハードルを低くしてるので、

それにまんまと引っかかって、

安易に心療内科や精神科に行く人が増えすぎてるという問題と思います。

 


ま、

いずれアメリカの二の舞を踏むんでしょうが。


アメリカの精神医療、向精神薬問題、

かなりヤバいことになってますからね。


恐ろしや。







座敷牢に閉じ込められてた精神病患者


あら?

座敷牢という言葉が正式になくなったのかしら?

私宅監置という言葉になってる。


言葉だけ綺麗に取り繕えばいいってもんじゃないと

思いますけどね。


狂ってる

キチ◯イ


という言葉もNGになりましたが、


狂ってる、


て、とってもわかりやすい言葉だと思うんですけどね。


とりあえず、

精神医療の歴史は狂ってますね。