無理しない生き方

by ひろゆき(西村博之)


*生きがいを探さない


「生きがい」なんてものはない。

by ひろゆき


なんか笑えます。

こう言いきってもらえるとスッキリしますよね。

「生きがいとはなんぞや?」
という話になるとは思いますが。

そもそも世の中に「生きがい」なんてものは存在しません。

でも、
何故「生きがい」が語られるのかというと、

自分の生活が楽しくない人に限って
「生きがい」とやらを探すらしい。

自分が生まれてきたことになんらかの価値や意味があるのか?

みたいなことを悩み始める。

「自分探し」も似たような感じですよね。


でも、
若者はこういうことを考えて悩むのもいいかもしれませんよね。

それが「若さ」だし。

結局
今日1日が幸せならそれで十分。
基本、楽しい日々を過ごせれるなら、
それで十分。



歳をとると、
そのような青臭いことをあまり考えなくなる。

40歳にも50歳にもなって、
「自分探しの旅に出まーす」なんて人は少ない。


よく、
薬害界隈では
「自分が薬害にあった意味は?」

なんて小難しく考える人いるけど、
私は
なーんも意味などないと思ってます。



頭で考えてばかりいてもろくなことない。


やることをやるしかない。

行動あるのみ。


仕事をしなくてはいけないなら仕事をする。

主婦なら主婦業する。

日々の雑事をこなす。


親なら育児や子供の関係のことで忙しいはず。


体力をつけて回復を促すためにも、

自分の身体を動かす。


いくらでもやるべきことはあると思います。


「疾患利得」という表現は微妙ですが、

「薬害」や「病気」を言い訳に自分を甘やかすことは

いくらでもできる。


現実的にはもう病院にも通院してないし、

クスリも服用してないし、

自分は精神病じゃないとわかっていても、

障害者年金は受け取り続けたい。


なんて人達も存在します。


これも利得優先。

働かなくていい口実にもなる。


育児や家事だって放棄することもできる。


そして自分探し生きがい探し幸せ探しにうつつを抜かすこともできる。


たぶん、

そんなもの探しても見つからないんでしょうね。

特に考えてばかりじゃ。


やるべきことをやって行動してく中で、

ふと見つかるものなのかもしれない。









 クリスマスローズが好きで何株か庭に植ってます。

 今年はもっと増やす予定!