「脳病院をめぐる人びと」


という本に、

太宰治と脳病院の章がありました。


ちょうど1年前の頃、

私も太宰治について記事を書いてます。


「人間失格と薬物」というタイトルで

2つ記事を書いてます。



太宰治はバルビナール中毒でした。


それなしには眠れなくなるような依存状態。

致死量レベルの注射を自らしてたよう。


東京武蔵野病院に強制入院に至ります。

(ちなみに当時は脳症院と呼ばれてた時代)


仲間の井伏鱒二らが計って、

表向きは肺結核治療と偽り脳病院ということを伏せて入院させました。


当時は脱出不可能と言われた脳病院、

東京武蔵野病院です。


当時はまだ未開地の松林に囲まれたところに

ありました。


太宰治は最初は、

なるほどいい病院だ!

ここなら休養できそうだ!

思ったそう。


初日は開放病棟の見晴の良い特別室に

入れられたが、

翌日には早くも監禁病棟の個室へと

移される。


バルビナールが切れた禁断症状により、

興奮状態が始まっていた。


そこで太宰治は、

ここが脳病院であることに気づいて叫びます。


ここは気狂い病院だ!

ここはどこの脳病院だ!



親友の井伏鱒二や妻に騙されたと、

太宰治は怒り恨みます。


カルテには、


強制的に入院させられた!

恨んでいる。

苦しくなり死にたくなります。

記されてます。



回診する医師にむかって


インチキ病院!インチキ医者!

退院したら警察に訴えてやる!


脅し文句を叫んでました。


バルビナールの禁断症状は思ったよりも

早く緩和したようです。


「どん底の脳病院」に収監されたという

事実は、

それまで最低でも3回の自殺未遂を計った太宰治をしても、

容易には受け入れがたいものであったらしいです。



退院後も仲間に


こともあろうに気狂い病院に叩き込んだのですよ!

こいつは忘れられない!

終生ぬぐいきれない僕の痛手だ!


と訴えました。


これは死ぬ以上のことだ!

人間性の剥脱なんだ!


と、

脳病院に入れられたという事実は、

その後の太宰の生涯において消し難い汚点

として自覚され続けました。


その恥辱と苦悶は中期の小説から、

最晩年の「人間失格」に至るまで、

繰り返し変奏されていくのです。


小説「人間失格」に下記のように書かれてます。



そうしてここに連れて来られて、

狂人ということになりました。

こかから出ても、

自分はやっぱり狂人。

いや、廃人という刻印を額に打たれることでせう。

人間、失格。

もはや

自分は、完全に、

人間で無くなりました。



太宰治自身が精神病者を

「人間」でないとしてる。


晩年の諸作において「狂気」に強いこだわりを見せた太宰治も、

自分自身が現実に狂人と見なされることには

猛反発してました。


「人間失格」の後半は、

執拗な脳病院告発となります。



ちなみに

当時の脳病院の治療施設に対する不信感は、

太宰治だけのものではありませんでした。


芥川龍之介も然り。

智恵子を最後まで入院させなかった高村光太郎も

然り。


脳病院への激しい拒絶反応は、

むしろ当時の世俗的な良識だったようです。


夢野久作も奇怪な小説「ドグラマグラ」で、

当時の精神科医や治療施設への不信と

敵意を顕にする怪文

「キチガイ地獄外道祭文」なるものを

延々と書いてます。


また

この「キチガイ地獄外道祭文」は傑作なので

紹介します。



しかし、

時代が変われど、

あまり精神医療界って変わってないのかもしれません。


変わったのは、

精神科病院へのハードルが下がり、

気軽に国民が自ら進んで行くようになったこと


この現状を太宰治がみたら、

心底ビックリするでしょうね!





太宰治の写真では、

この写真が1番好きです。





太宰治はいろんな俳優が演じましたが、


私は、

豊川悦司の太宰治が1番好きです。



メンヘラ男は嫌いですが、

豊川悦司なら引っかかるかも(笑)


ちなみに

メンヘラ女メンヘラ男と関わり恋愛したり、

結婚した人は、

ほぼ不幸になってますね。


他人の運気を上げるメンヘラって

聞いたことない。