昨年の今頃の日記を読み返すと、

春頃は、
身体の痛みと痺れと倦怠感に苦しんでました。

それでも
精神状態はどんどん回復していきました。


午前中は、

なかなかベッドから抜け出せず
朝の10時や11時頃に、
やっとこさ起き出す感じでした。

だるかったのでしょうね。


それでも
午後からボチボチと洗濯したり、
家を軽く整理したり、
1人で買い物に行き、
週の半分くらいは簡単な夕食を作ったり
できるようになりました。

1人で買い物に行き、簡単な夕食を作る。

これだけのことで、
家族はすごく喜んでくれました。


娘は何度も

「お母さんがキッチンに立っている!
信じられない」

喜んでくれました。

息子も
「俺はもう2度と母親の手料理を食べれないと思ってた」

言ってました。



2020年3月に我が家に戻ってきたわけですが、

その寸前まで精神科に通院してたわけです。

主治医との間で、
精神障害者手帳を取るかどうか、
障害者年金を貰うかどうか、

なんて相談までしていたのです。

こちらの少し評判の良い病院に通院して、
そこの「うつ病患者のリハビリコース」に
通おうかとも考えてました。


平日は毎朝通って、
リハビリや畑仕事やら、

いろんなことをして、
社会復帰へのリハビリをするような
コースがあるのです。

忘れましたが
A型とかB型作業所へのアレンジも
してくれるそうです。


自分はもう
そのようなコースでしか働けないのかもしれない、

すっかり自信をなくしてました。


ただ
相談した身近な人は皆反対しました。

理由はわかりません。


そんな重篤な人に

見えなかったのかもしれません。



診断名はついてましたから、
手帳を取り障害者年金を貰うことも
できたわけです。


楽ですよね。
働かなくても毎月お金を貰えるのですから。


まぁ
そんな状態からも、
普通に働くことができるようになるまで

回復できました。


昨年末ごろから、
この春頃から働きたいと思うようになりました。


ずっと
働きたかった仕事の募集を偶然、

昨年末目にしました。

ダメ元で履歴書を提出しました。


そして
今年1月上旬に試験面接をうけ、
中旬には採用の結果を貰いました。


その仕事の募集要項には、
資格を持っている人あるいは経験者優遇と
記載されてました。

私は資格も経験もないのでダメ元と思い、

ヤケクソで応募したのです。



面接の段階で、
応募者が多いので

ご期待に添えないかもしれません、


言われて「こりゃダメだ」と
諦めていました。



正直、

採用の連絡をもらった時は、
信じられず驚きました。

「働きながら、資格を取ってくれれば良い」

言われました。

面接の時に、
「もし採用していただけましたら、
勉強して資格をとりたい」とは
アピールしておきました。

なんでも
ダメ元でトライしてみるものですね。



減薬断薬もそうです。


「薬」を断薬して、

どんなに不調になろうとも

1年間は様子を見よう。

それで
自分は「精神病」であり「薬」が必要と
心底思うようなら、
覚悟を決めて一生飲もう。


と思い、
ダメ元でトライしたわけです。



1年毎の更新制ですが
身分は地方公務員になりました。

先日
「公務員として働く宣誓書」みたいのに、

サインして捺印してきました。

どうやら
模範的な日本国民にならないと
いけないようです(笑)

精神医療や製薬会社を叩いたら、
クビになるのかしら??


5年間無職でブランクがありました。
50歳を過ぎて若くもありません。
資格もありません。



仕事探しは苦戦すると覚悟してました。



第一希望の、
ずっと働きたいと思っていた場所での
仕事に就くことができました。

我ながら
アッパレと思ってます。

自慢していいでしょう(笑)


頑張りましたよ!



精神医療から生還した50すぎ女の
オバサンとしては大合格でしょう。


先日職場にオリエンテーションに
行ってきました。

職員しか立ち入ることのできない
裏を見せてもらいました。

山のようにある書籍に、
本好きな私は「夢のような職場」
だと思いました。

仕事でなくて、
一日中ここに篭っていたい!

本当にそう思いました。



向精神薬、
私は多剤大量処方でした。
多い時は毎日30錠近く飲んでました。

ベンゾゾアゼピン
抗うつ薬
気分安定薬
メジャートランキライザー


全て飲んでいました。


それでも
少しずつ薬を減らして断薬して、
数年かかりましたが、
社会復帰できるまで回復しました。


向精神薬の害に苦しんでる人は、
本当に大勢います。

本当は
医師が減薬断薬指導して回復に導くべきなのに、
なかなかそんなことしてくれる医師はいません。


日本の精神医療の現実が

簡単に変わらないこともわかってます。


自分にできることは、
身近な人に
「簡単に向精神薬を飲んではいけない」

伝えることぐらいしかできません。


本当に
ダークな社会の一面を垣間見てしまいました。


それはそれは恐ろしい体験でした。


ちなみに
下書き保存してる記事もあと数件。

仕事のマニュアルも与えられました。

予習しなければいけません。



いよいよ
ブログを書く頻度も減っていきそうです。


メンタル部門のブログをいつまでも
書いてる人は回復していない!


言う人もいますが、
人それぞれと思います。

全てはそうですが、
〇〇だから〇〇だ。


決めつけることは良くないと思ってます。



回復して忙しくなったらブログなんて
書いてられない。
書いてる人は暇な人。

そんなこともないと思ってます。

文章を書くのに、
すごい労力を要する人は

そのように思うかもしれませんが、

わたしは文章を書くことは好きですし
得意です。

実は
ブログくらいなら、
10分や15分でチャチャっと書いてしまいます。


なので、
働きはじめようが、
いろんなことをしようが、
そのくらいの余裕と時間はあります。

(10分や15分の余裕のない激ハードな生活なんて、もう若くないからできません)


まぁ
でも
さすがに「精神医療関係のネタ」にも
尽きてきましたね(笑)


まだブログを始めて1年経ってませんが、
自分としては、
書きたいことを書いたという満足感はあります。


仕事も頑張ります。



どうなるか
わかりませんけどね。

もしかしたら
躁状態になり、
職場で大声出して走り回ってクビに
なってるかもしれません(笑)


ちなみに
わたし躁状態ってよくわからないのです。

なれるものならなってみたいくらいです。

多分人一倍いつも落ち着いて冷めてると
思うんですよね。

恋愛していても、

どこかに冷静さが必ずありました。

そんな私に、
「双極性障害2型」と精神科医が
たった20分の初診で病名つけたわけです。



精神科医の診断名なんて、
本当にあてになりませんね。



単に
抗うつ剤が効かなかった


それだけでつけられた病名と思います。




ソメイヨシノも満開になりました!
子供達が幼稚園児の頃よくお弁当を持って
遊びに行ってた公園です。

月日は流れ、
子供達は成人してしまいました。

そして
私は1人でお花見してます


これからは
1人温泉1人登山1人旅行楽しみます。

1人お酒があまり飲めなくなったのは残念






 仲良しの鴨さん


 手前は桃の木です。


 青い空と桜の組み合わせは最強ですね