入院して翌日は

一日中拘束されてました。



 

保護室は、

廊下を入るとちょっとした空間があり、

更に鍵のついた引き戸の扉があり、

その奥に

ベッドとトイレだけがある

部屋がある。そんな部屋でした。



鍵のかかった扉には、

小さな窓がついており、

時々看護師さんが覗いてるのが

わかりました。



扉に小さな窓がついている、

まさに刑務所みたいな部屋だな、

思いました。

 


入院した夜から、

私は諦めの境地に達してたので

大人しくじっと横になってました。



食事は看護師さんが来て、

ベッドを起こしてくれて食べさせてくれました。

 

物心ついてから、

人様に食事を完全に食べさせてもらったのは

初めての経験でした。


 

オムツを外して欲しい、

トイレにいく時だけナースコールで知らせるので拘束を外して

トイレに行かせて欲しい。

頼みましたが認められませんでした。



 

オムツに排尿するのはとても屈辱的でした。

 

入院2日目9月1日

 

大人しくしていたからか、

手の拘束は外してもらえました。



お腹と足の拘束はされたままです。



午後に1時間だけ拘束を外してもらい、

大ホールに出してもらえました。



テレビ台の下に、

少しだけ雑誌類と

入院患者が置いていった本がありました。


1時間本を読んでました。

 

入院してから排便をしてなかったので

(オムツにできない!)、


看護師さんが

浣腸して下剤を飲むように言いました。



拒否しましたが、無理でした😡

(全く人権侵害だと思います)

 

9月2日

 

10時半から4時半まで、

閉鎖病棟内(入院していたフロアー)に

出ることを許されました。


入院した夜から、

大人しく落ち着いていたからでしょう。


 

夫と息子が面会に来てくれました。

娘はきてくれませんでした。


 

娘が一人暮らしを始めるってことで、

私が動揺してしまいこのようなことになったので、

娘はかなり精神的に参ってたようです。



 

自殺が未遂で良かったとつくづく思いました。



もし死んでいたら、


娘は私のせいで

お母さんが自死してしまったと

一生傷を抱えて生きていくことになったかもしれません。

 


主治医のS先生と対面しました。


S先生は「双極性障害2型」と診断名を私に告げ、


抗うつ薬ジェイゾロフトを減らして抜いていく

言いました。

 


入院中は携帯電話も持ち込み禁止です。


フロアーに公衆電話が2台あり、

見舞いにきた夫がテレフォンカードをくれました。

 


母に電話をしたら

「一生分泣いた」

「父親は一気に5kg痩せた」

言われました。

 


ちなみに

私は浣腸されて下剤を飲まされましたが、

それからオムツが外されるまでの

5日間、

根性でうんち大の方はしませんでしたチョキ



単純に強烈な便秘になっていただけかもしれません。


よかった。。


オムツで💩しなくて。



 

 

現時点で残ってる離脱症状は、

まだ酷い不眠。


手足や体の痺れは弱くはなりましたが、

まだ常にビリビリ痺れてます。


やはりこの4年間で体力がかなり低下したようで、とても疲れやすいです。



離脱が関係あるかはわかりませんが、

頭痛も頻繁におきます。


遅発性ジスキネジアも弱くなりましたが、

まだ顎が勝手にモゴモゴ動きます。


 

睡眠は週に2日くらいは絶不眠。

多いのは途中覚醒ありの4時間くらいの睡眠。


週に1日ぐらいは5時間近く寝れます。


5時間以上寝れたことはありません


 

歯茎の萎縮と視力低下は後遺症で仕方なし。


 

3年半近く、

毒のような薬を飲んでいたのですから仕方ありませんね。