今日、銀座で開かれたあるサロンの催しに連れて行っていただきました。
お連れくださった方とは20年来のお付き合いというファミリーのマダムとお話していたら、なんと!、ちっちゃな頃から可愛がっていただいているおば様方とお親しいとわかり、またまた、世間の狭さを感じるのですが、、、
ふと、気付いたんですね
自分の言葉遣い、立ち居振る舞いに、、、
人にはそれぞれ、いくつかのお付き合いのパートがあると思います。
例えば会社の中でも、「同じ部署の仲間」、「同期の仲間」、「気の合う仲間」、、、etc.と、会社の中だけでもいくつかの仲間分けができます。
もっと範囲を広げれば、会社の仲間、学生時代の仲間、お稽古事で知り合った仲間などなにかの活動の仲間という具合に、皆さん周囲を見回せば、いくつもの交流のパートを持っていると思います。
そのどれかは居心地のいい仲間で、そのどれかは、必要に迫られて一緒にいる仲間だったりするでしょう。
そしてそのそれぞれのお相手、場面によって、上手に付き合い方を仕分けていますよね? 自分を使い分けていると思います。
ほら、使う言葉だって、振る舞いだって、サバサバしているか、ゆったりしているか、、違いますよね。砕けた感じか、、丁寧な感じか、、、など。
けれどその自分をあまり評価できなかったり、あまり好きでない場合もありますよね?
今日の私を振り返ったとき、あまり評価できない自分がいました。
共通の知人に嬉しい驚きを感じましたけれど、ふと振り返ったとき、
あれ???!!、あのおば様方(サロンのマダムと共通の知人)とお話しているときと、今日の私、違う。今日はいつものまんま、お仕事や、多くの時間を割いている活動での場面のときと同じ自分。
切り替えができなかったということではなく、いつの間にか自分のウェイトがシフトしていたことに気付き、ちょっと考えちゃいました。
それが好きな環境ならともかく、しばしばウンザリすることもあるのに、そこに染まってちゃ、、駄目ですよね。
なんか落ち込んじゃいます。