私から父の話を聞く方は、ほとんどいないと思います。
伯父のお話はたくさんいたしますけれどもね...(^^)
ある日のこと、プーちゃんに「パパが、、」というお話をすると
きょとん、、、としてるの。
我が家には「パパ」「お父さま」という言葉が交わされないから、、、
だからプーちゃんにはパパという語の意味がわからないの。
結構はっとしました。
普通ならば父親がいないことを悲しんだり、何か心に影響するものもあるでしょうけれど
私の場合伯父の大きな愛情を受けて育ちましたので、父親がいない寂しさを感じることが
ありませんでした。
記憶しているといえば、、幼稚園で父の日を前に、父親の似顔絵を書くとき
「私はどうしたらいいの?」と思いましたけれど、それも実にあっけらかんとしたもの。
質問を受けた先生を内心ドキリとさせたかもしれませんが
「アルヴィスちゃんはおじちゃまを描きましょうね」と言われて、「はい♪」と
素直に応じたのを覚えています。
父がいない寂しさを感じるゆとりもないほど慈しんでくれた伯父に、本当に感謝しています。
男の子が生まれると決め付けていた父は、私の誕生を聞いてガッカリしてしまい
一日のお仕事をきっちり終えてから私に会いにきてくれたそうです。
それも、父の姉に引っ張られるようにして。。。
それが退院する頃にはもう、「お嫁には行かせない」と言っていたらしい(笑)
私が記憶している父の姿は、実は写真の中の父の姿で
エピソードも自分の記憶ではなく、母たちから聞いているお話が私の記憶と錯覚している
のではないかと疑問を感じることがあります。
本当はどうなのか、、自分でもよくわからない。
父は再建人事で入った会社の仕事に奔走し、本当に激務をこなしていたそうです。
体調に異変が生じ始めたのは、冬の終わり、、2月頃だったそうです。
明らかに異常と思える症状が現れ始め、病院へ行くことをどんなに強く勧めても
そんな時間がありませんでした。
3月、秘書の方にお願いしてお仕事の合間に無理やり病院に連れて行ってもらい
検査の結果ガンの診断を受けます。
4月末、ようやく入院して開腹したものの、もう手の付けようがなく、そのまま閉じ
9月2日、天に召されました。
あっという間の出来事だったそうです。
余命が限られたことは誰が告げなくても、父自身が悟ったことでしょう。
告知、、したのかなぁ?
残された時間、父はお仕事の整理を懸命につけていたらしい。
自分でも非情だな、、と思うのですが
父がいないことを悲しいとか、辛いと思ったことがないんですね。
一緒に過ごした時間が短く、私には父がいない生活が当たり前になっているから。
ただ思うのは、、もっと生きたかったでしょうし、私の成長を見たかっただろうな、、
ということ。
思い残したことは多いでしょうね。
今でも時折、父の友人にお会いすることがあります。
ふと連絡を受けて、お食事をご一緒して父の話を聞くこともあれば
父がいたら私に言ったであろうことを言われることもあります。
早くに亡くなった友人の娘を、気遣っていただいています。
子供の頃は、どーしてもこの9月2日の命日日にお祈りができなくて
困りました。
心がポカ~ンと、空っぽなんですよね。
父がいないことが私の普通で、特にそのことを考えることもありませんでした。
最近です。父に思いを馳せるのは。。
父のことを自分の言葉で評しようもありませんが、
今年は、ちゃんと父のためにお祈りできそうです。
父が息を引き取った時間は、日にちこそ違えど、、、
私が生まれた時間と同じ時間でした。