私の会社では、火曜の朝は一定の役職以上の社の中枢が集まっての

会議があります。

ですが今日はその会議をお休みしました。


昨日は8年前のことを思い出しては一日泣いてばかりで、

今朝も何度か涙してしまい、

ちゃんと会議に出られる状態ではありませんでした。

よく理解してくれている上司と、会長から

「気持ちが落ち着いたら出社してらっしゃい」

とメールを頂いたので、お言葉に甘えています。


伯父を亡くして最初のBirthdayを迎えたとき、

それまで自分のお誕生日と同様に特別に思ってきた伯父のお誕生日を

どのように過ごしていいか、とても迷いました。

何もしない方が辛かったので、今までどおりにしたい。

前年にちゃんとお祝いしなかった悔いもあり、

伯父のBirthdayをしようと決めました。

以来、毎年お祝いの食卓を囲み、伯父の生誕を祝い続けています。


昨日は、大丸に新しくOPENしたケーキショップで

ケーキを購入しました。

以前、伯父がこんなことを言ったことがあります。

「ちょっと(病気で)寝ている間に、風景が変わってしまう」と。

胸が苦しくなりました。

長年抱えていた病気の為に、しばしば床に就いていましたが、

その度に、世の中の変化を感じてもどかしく思っていたのでしょう。

8年が過ぎ、東京の街も伯父の知らない風景が増えました。

東京駅に新しくOPENした大丸も、伯父は知らない。

だから、おじちゃまに教えてあげたかった。


最近は随分強くなりましたが、昨日はさすがに涙の一日でした。

困るのは、街を歩いていても、涙が流れてしまうこと。

すれ違った人に、どうしたのかと思われているでしょうね。

昨日は、何を話すでもない一本のお電話に、随分救われました。


今でも、8年前の昨日の伯父のことを、鮮明に覚えているのです。

やや辛い身体を起こして食卓に着き、お祝いの乾杯だけのつもりが

「今日はお食事を食卓でします」と言って、一緒にお食事を頂いたことや

伯父のお話。表情まで、鮮明に覚えています。


ちょうどこの日、私はこの頃マイ・ブームだったPaloma Picasoの

赤い定期入れとバッグを買っていました。

私を大変可愛がって下さった伯父はいつも私に関心を寄せていたので

その定期入れとバッグも、帰宅してすぐ伯父に見せていました。

夜、起き上がったときには手に取って眺め、

伯父が「いいのを買いましたね」と言って下さったのを思い出します。

でもそれが、私のお買い物を伯父が嬉しそうに眺める

最後になってしまいました。

その定期入れ、今も使わず大切に取ってあります。


その数週後Hair Salonから帰った私を見ても、

伯父はもう何もコメントしなくなっていました。

いつもなら「とてもいい」とか、「もう少し短い方がよかった」などと

コメントするのですが、その日は何も言わなかったのです。

まさかこのBirthdayから一ヵ月後にお別れすることになるとは、

この日には思いもしませんでした。