チャールズ皇太子の次男ヘンリー王子のイラク派遣が話題となっていますが、英王室では、1982年、エリザベス女王の次男で、ヘンリー王子には叔父に当たる、現在のヨーク公アンドリュー王子以来の出征となります。
アンドリュー王子は王室の伝統に習って、海軍士官学校を卒業した後従軍した、職業軍人でした。
アンドリュー王子は、数年前にもシャーリーズ・セロンとのロマンスが噂されたことがありましたが、独身時代、女優やモデルなど、多くの女性との女性とのロマンスがいつも話題になっていました。
そのアンドリュー王子が人間的に大きく変化したのが、フォークランド紛争での従軍経験だったと、自身答えていました。
アルゼンチンがフォークランド諸島に進軍し、紛争が勃発したとき、王子の所属する部隊も出兵し、アンドリュー王子は戦艦インビンシブルに乗艦して、フォークランドに赴きました。
王子の任務は、迎撃ミサイルのなかったこの頃、敵方から発射されたミサイルが味方に命中するのを防ぐ為、ミサイルの進路にアルミ箔を撒いて爆発させる作戦の実行でした。ヘリコプターでこのアルミ箔を撒くタイミングはとても難しく、早すぎればミサイルは通過してしまいますし、遅ければ、ミサイルはヘリコプターに命中して爆発してしまいます。
この大変危険で、そして味方を守る為の重要な任務は、常に命の危険を感じながらの、慎重な任務だったそうです。
また、王子の乗艦する戦艦インビンシブルと編隊を組んでいた駆逐艦セフィールドが撃沈されたとき、沈み行くセフィールドからの生存者救出をアンドリュー王子も行い、今息をしていた兵士が、次に救出に行くともう息をしていなかったり、インビンシブルの甲板一面に横たえられた負傷者の姿を目の当たりにしたとき、アンドリュー王子の人生観は大きく変化したと、紛争後のインタビューで語っていました。
紛争終了後帰還したインビンシブルを、エリザベス女王をはじめ、当時産後間のなかったダイアナ妃を除くロイヤル・ファミリー一同が出迎えたとき、なかなか下艦しないアンドリュー王子を待ちわびていると、最後に、真っ赤なバラをくえて降りてきた姿を見て、チャールズ皇太子が「我が家のロバート・レッドフォードが帰ってきた」と言いました。
当時のアンドリュー王子らしい逸話でした。
アンドリュー王子はその後、幼馴染であり、兄嫁であるダイアナ妃の友人、セーラ・ファーガソンと結婚します。
セーラさんは爵位のない家柄なので、「さん」の呼称で呼ばれましたが、チャールズ2世の庶子を祖とする家柄でした。
軍務の為一年の大半を留守にしていたアンドリュー王子は、家族が寂しくないよう、留守中はエリザベス女王とバッキンガム宮殿で暮らせるようにしていました。しかし、王子の留守中にセーラ妃は多くの男性と交際していたことが発覚し、その一人の男性が引越しの際、セーラ妃との親密な写真を置忘れ、後に越してきた人がそれを見つけてマスコミに持ち込んだことから公となり、1996年、二人は離婚します。
その後もアンドリュー王子はセーラさんとしばしば一緒で、ウィンザー城で火災を発生したときには、二人が寝室から飛び出してきたことに、周囲が驚きました。
最近では、チャールズ皇太子とカミラさんの結婚式に二人が一緒に出席し、復縁を示唆していました。






