たいへん、たいへん!!

日本橋三越で開催されている「グレース・ケリー展」が、29日(日)で終わってしまいます。



グレース・ケリーといえば、50年代のハリウッドを代表する女優で、モナコの映画祭で出合ったレーニエ大公との結婚でモナコ公妃となり、53歳という若さで自動車事故で世を去った、20世紀を代表するミューズの一人でした。

その彼女の展示会がモナコ公国の総力で行われ、数ヶ月前から楽しみにしていたのですが、慌しく日を過ごしてしまい、まだ行っていませんでした。


グレース・ケリーの作品で好きな映画を挙げると、その美しさがスクリーンから溢れていた「裏窓」や、モナコの景色を堪能できる「泥棒成金」。スリリングなストーリーに夢中になる「ダイヤルMを廻せ」や、またアカデミー賞受賞作となった「喝采」という方もいらっしゃるでしょうけれど、私は「白鳥」という映画が一番好きです。




また後日、映画はご紹介させて頂きたいと思いますが、この映画は、ちょうどグレース・ケリーがレーニエ大公からプロポーズを受けて、その返答に迷っている頃撮影されたそうなのですが、この映画のワンシーンにこんな台詞があります。

白鳥は湖にいてこそ美しく
湖を出た姿は醜い

デビッド・ニーブン扮する他国の王子のその言葉に、グレース。ケリー扮する貴族の令嬢が心動かされ、王子のプロポーズを受けます。


自分にとっての湖を見付けるのは
とても難しいこと・・・
どれだけの人が見付けられるのだろうか・・・

グレース・ケリーは、映画「泥棒成金」の撮影で初めてモナコを訪れ、各地を観光しますが、ただ一箇所、王宮だけは訪れることがなかったそうです。それについて、「あそこは縁がないもの」と答えたそうです。

ですが完成後の試写会でレーニエ大公と出会い、王宮に招かれ、やがてそこが住まいとなることなど、全く想像しなかったのでしょう。


グレース・ケリーは、私の伯父と生年月日が同じでした。お誕生日が同じだったことで親しみを持っていたのと、ノーブルな雰囲気の女性が好きだったので、伯父の大好きな女優の一人でした。ところが私は、あまり興味ありませんでしたね。

モナコ国内を車で走行中、崖から転落して死亡したときのニュースを、よく覚えています。

期せずしてその後悲劇的な最後を遂げた、同じく20世紀のミューズの一人、プリンセス・ダイアナが、婚約後最初に出合った他国の王族は、グレース公妃でした。


レディ・ダイアナを最初に自分を暖かく迎え、そしてアドヴァイスしてくれたのが、グレースだったので、グレースの葬儀では、プリンセス・ダイアナは大粒の涙を流していたのを、覚えています。


グレース・ケリーは、彼女のコンプレックスでもあったのですが、その横顔を見るとわかるように、鼻が高くありません。

アイルランド人の特徴でもありますが、彼女は父親がアメリカに渡ってきた移民で、レンガ職人として財を成し、趣味のボートを楽しみたいと思いましたが、蔑みからボート・クラブに入れなかった屈辱を味わい、その悔しさは子供たちによって晴らされます。

優秀だった兄たちと違い、女性のグレースにはなかなか活躍のチャンスがなく、父の気を引こうとしたグレースが選んだ道が、女優の道だったといいます。

勿論父は大反対でした。

認められる為に演技に励むのですが、グレースが認められたのは、レーニエ大公との婚約によってだったといいます。

そんなグレースは常に父親の面影を持つ男性に惹かれ、ゲーリー・クーパーに夢中だったことは有名でした。



モナコはフランス王国の中の一公国で、世継(王子)が絶えたらフランスに併合される運命にあります。どこの王室でも世継を儲けることがお妃の最大の役割ですが、殊にモナコは国家の存続に関わる重大事でした。


めでたくアルベール殿下、現在の大公を儲けたグレースは、公妃としての最大の役割を果たし、かつ、観光収入を大きな収入源とするモナコに、大きな話題をもたらしたのですから、お妃としても大きな役割を果たしたと言えます。

美しさと存在感から、とても愛された公妃で、日本での人気も高いので、このような展示会の開催となったのでしょう。以前にもMIKIMOTOでハリウッド時代の衣装展が開かれたこともありました。やはり50年代を代表する女優、20世紀のミューズの一人なのですね。

29日までには私も展示会に行きたいところですが、微妙です。