近日公開映画の中で楽しみにしている映画の一つが、『マリー・アントワネット』 です。
マリー・アントワネットはアニメにも登場することがあり、子供の頃からその名前を知っている人は多いと思いますが、私が最初にちゃんと意識してマリー・アントワネットに関心を持ったのは、小学校中学年くらいの頃でした。
マリー・アントワネットの血は引かないけれど、彼女の実家の直系の皇女(アーチダッチェス)さまとお会いしたとき、私はまだハプスグルグ家を知らず、
「『あぁ!マリー・アントワネットの?』と言われることが多いけれど、私は、『マリア・テレジアのね?』と言ってほしいのよ」
と言われたのが最初でした。
それからシュテファン・ツヴァイクの『悲しみの王妃』という作品を読みました。
数年前には、遠方のお友達とマリー・アントワネットとメールで語り合いました。
たぶんマリー・アントワネットは気になる女性のひとりです。
今回描かれる映画の中のマリー・アントワネットは、母マリア・テレジアや、彼女の忠実な目付け役だったメルシー駐仏大使の書簡などを分析し、マリーが年齢相応の少女であったことを読み取り、等身大に描いた作品のようです。
オーストリア・ハプスブルグ家はヨーロッパ一の王家ですが、そのハプスブルグ家は、婚姻によって安定、拡大した王家でした。
マリーは15人の兄妹がおり、母が治めるオーストリアの窮地を打開するため、マリーは婚姻による和平により14歳でフランス皇太子に嫁ぎます。
質素で慎ましいオーストリアと違い、フランス宮廷は絢爛豪華で、享楽に耽る毎日でした。
若い女性には、毎日着飾ることに抵抗などできるでしょうか。
嬉しい限りですよね。私たちだって喜んでお洒落に勤しんでしまいますよね。
マリーもそうでした。
取り巻きの夫人たちと共に笑い、宮廷で展開される誘惑の数々の中で、
市民たちは日々の食にも事欠くようになっても、宮廷では毎日贅が尽くされていた。
そして革命の火の手は上がったのです。
革命が起こるとき、一定のルールがあります。
貧困層と富裕層の比率が9:1になったとき、革命が起こります。この時代のフランスは正に、9割の人民が貧困に苦しみ、1割の貴族は日々ベルサイユで贅を尽くしていたのです。
しかしマリーはやがてその生活に疲れ、夫ルイ16世に贈られたプチ・トリアノンでの静かな日々を好みます。
マリー・アントワネットの結末は誰もが知っています。先日あるTVで、マリー生誕250年に当たる今年、フランスではマリー・アントワネットブームだと報じていました。
んん
フランス革命200周年に当たる1989年、確かフランスでは革命を記念し、多くの記念グッズが発売され、大変市民たちが騒いでいたのを思い出します。私も最初は『フランス革命200周年!」と、記念グッズの購入を考えていたのですが、そこで伯父に一言。「革命を喜ぶ側と、悲しむ側がある」と話され、鎮火致しました。
思い出しますね・・・
4月には横浜そうごうでもこれを記念して、「マリー・アントワネット生誕250周年記念 マリア・テレジアとマリー・アントワネット展 華麗なるハプスブルク家 母と娘の物語」 が開催されます。
楽しみですね。
マリー・アントワネットは悪い女性のように扱われがちですが、そうだったのか、常々疑問でした。私はそうは思わないのです。
この映画は、映像も美しく、マリーを知るには好機かもしれませんね。
公開されたらお友達と見に行きます。