前々から気になっていたのですが、なかなかいじめについて書く機会がなく過ぎてしましたが、先日「いじめ」 に関する記事を書いたとき、私の身近に深刻ないじめがあったことをお話してみようと思いました。


私の2歳下の従妹は、幼稚園から高校まで一貫の私立校に通いました。


従妹が14年間いじめられ続けた理由は、彼女が極度の未熟児で生まれ、一年生命が維持できるかどうかわからなかったのを乗り越え、そして10歳まで生きられるかどうかわからなかった虚弱児で、生来食が細く、ガリガリに痩せていたことが、同級生はもとより、先生の中にも「気持ち悪い」と感じられたようで、同級生から相手にされていませんでした。


極め付けは、彼女がクルクルの天然パーマで、よく言えば滑稽ですが、朝どんなにドライヤーを当てても午後にはちび黒サンボみたいにまん丸な頭になってしまうようなくせっ毛で、明石家さんま並みの出っ歯の容貌は、可哀相なものでした。

くせっ毛は誰に似てしまったのかわかりません。出っ歯は、職が細く奥歯が発達しなかったので、とても細い顎が特に際立たせていました。


悪口というか、親にまで波及するような中傷を流布されたこと。無視ではないけれど仲間に入れてもらえないこと。毎日毎日どれだけの思いをして学校に通っていたか・・・

今でも彼女は決して自分の本心を見せず、いつも自分の感情や希望は後回しにして、その場の人たちが望むことを自分の気持ちになってしまうことが私には可愛げがなく感じられ、また苛立ちさえするときがあるのですが、それは彼女が彼女なりに身に付けた処世術だったかもしれません。


彼女はそうやって自分の心に蓋をすることで毎日を過ごしたにも関らず、小学校入学から高校を卒業するまでの日々で、お休みしたのはただ一日だけ。愛犬が死んでしまった日に、学校をお休みした以外は、彼女は毎日学校に通い続け、「学校に行きたくない」という言葉を聞いたことがありません。


自分に体力がなくて、当番で早く登校しなければいけない日に通学路が混み合っていてなかなか前に進めなければ、近くの見知らぬ上級生に事情をお話して、先輩に手を引いてもらって走って登校したこともあったそうです。

なぜそこまでして急いだのかを聞けば、日直の日にみんなが登校するまでに教室が暖かくなるようにストーブを点けてなければいけないと思ったそうです。彼女が日直の日には朝必ず教室が暖かくなっていると、好評だったそうです。彼女はみんなのその笑顔に満足していたようでした。彼女が自分の存在価値を感じるのは、そんなことを通してだったのでしょう。


私はよく長期休暇には彼女の家に泊まりにいっていましたが、彼女宛に電話が入ったことがありません。私が叔母の家にいる間はそこに友人から電話が入り、私は1時間、2時間と話し込んでいても、彼女宛には電話がないのです。

彼女は今、年賀状を書きません。書く相手がいないのです。

彼女の今までの人生の中で、彼女の愛犬と、私のプッチーくんだけが、彼女の唯一のお友達なんです。

5歳から18歳までをそのように過ごしてしまうと、その後ももう友達を作ることは難しいようです。彼女にはお友達がいません。


残念だったことは、公立の学校に通っていたのであれば、環境を選ぶことはできなかったと思います。ですが受験して進学した学校でのことだったので、振り返っても残念でなりません。 その14年間の影響は多大に彼女の人間形成に 影響を与えました。彼女の場合には自分の境遇をいじめと認識していたでしょうか? たぶんそれしか知らず、それが彼女には普通だったのではないかと思います。決して明るい顔ではありませんが、彼女の顔には暗さがありません。

彼女には至らない点がたくさんあります。

けれど、性格がねじ曲がらなかったこと、世を拗ねるようなことはないこと。それだけで有難かったと思います。