最近登録させて頂いたあるブログを読んでいて、心に湧いてきた思いです。
日本は第二次大戦の敗戦以降61年に渡って、戦闘を経験することなく過ごすことができました。歴史上これだけの期間平和に過ごせた国家は稀でしょう。本当に有難いことでした。
しかし近隣の国家で核実験が行われ、混沌としています。
実は北朝鮮の核実験が公表された8日の日、私はのほほんと家族で外出し、一日芸術を堪能し、ショッピングして、久々に家族揃って外で食事してワイワイと帰宅し、それ以降日々の報道にもあまり動揺や危機感を感じていませんでした。
ところが昨日、急に戦争の恐怖を感じたのです。
理由はありません。
ただ、街を歩いていて、ふと、「戦争になる・・・かも?」という思いがよぎりました。
怖い・・・
もう十数年も前、いえそれ以前だったでしょうか?
年末のTVドラマで、幕末会津の歩みを描いたドラマがありました。年齢でいえばちょうどその頃の私と同世代の青年たちによって結成された白虎隊が、必死に藩を思って戦い、散っていく悲劇に、身近な男友達たちを重ね合わせて考えたとき、無性に涙が出た記憶があります。
私は涙腺の弱い人間ではありません。
殊その頃には、“泣けない女子高生”でした(笑)
日本が戦争に巻き込まれたら・・・ ということを思うと、あの記憶が蘇ります。
電車に乗っていて、向かいに座っている人たちの顔を眺めました・・・
いつもと同じ日常を送った表情をしている
街で通り過ぎる人たちの顔をチラリと覗き見ました・・・
平和な表情で黙々と歩いている
仕事の手を止めてofficeの同僚たちの顔を一人ひとりジッと見つめる・・・
目が合ってばつの悪い笑顔を交わす
誰もがこの平時に終止符が打たれる可能性について、微塵も考えている様子はない。
見知らぬ人にも愛おしさを感じます。
旧知の人に何かあればと考えるだけで喉の奥が痛くなる感覚を覚えます。
私はこの人たちを失いたくない。
友人・知人の誰一人として命の危険にさらされるようなことになってほしくない。
東西冷戦の時代には米ソが常ににらみ合い、いつどこで紛争が起こっても不思議のない危険性が沢山潜んでいました。
日本はいつソ連に侵攻されても不思議のない時期を過ごし、事実80年代には日本に向けてミサイルが設置された時期もありました。
ところがその20世紀よりも、この21世紀の方が混沌としています。20世紀の終わりに、新しく迎える世紀に希望感よりも、なぜか無性に不安を感じたことを思い出します。
これからどうなるのでしょうか? 北朝鮮の核問題はどのような展開になるのでしょうか?
北朝鮮だけが恐怖ではない。これからの世界はどうなるのでしょうか?
その中で私たちのできることは何でしょうか?
私はハンカチ片手に震えていたくはありません。