信じられないニュースに耳を疑いました。


名古屋の中京病院で、心停止した患者さんから提供された腎臓2個を誤って破棄してしまい、すぐに発見したものの既に汚染されており、移植できなくなったという事故が起きている。




信じられますか??( ̄∩ ̄#




1997年に日本で脳死が認められてから、間もなく10年を迎えようとしていますが、この間に脳死判定による臓器移植は、47例行われている。



たった47例です。




腎不全などで日本臓器移植ネットワークに登録している患者さんは全国に約1万1600人で、2005年に行われた腎臓移植は994件。


つい先日、愛媛県で臓器売買が行われ、摘発されたばかりです。

決して許されることではありませんが、この事件は移植現場の実情の厳しさを知る一端でもありました。



日本では臓器移植を必要とする患者さんに対して、提供される臓器の数が少なすぎるのです。


私は医学にはいささか興味と理解がある方だと思います。


日本で最初に脳死判定による腎移植が行われたときには、当時はまだ研修医だった友人の彼氏が、移植手術の医師団に加わりました。私が以前お付き合いしていた彼は、緊急救命に出向中に、事故で搬送された患者さんの脳死判定を経験しました。


普段は休日にしか彼には会いませんでしたが、そのときは珍しくお仕事明けに会い、疲れきった表情に、脳死判定はご家族にだけでなく、医師にも辛い経験であることを知りました。


その頃、友人たちは次々とドナーカードにサインしていましたが、私は未だ持つ勇気がありません。

彼に、自分のドナーカードのことと、必要になった場合には承諾してほしいと言われたとき、大変辛いものがありました。

私には決断できるでしょうか?



私は最愛の家族である伯父が亡くなった後、病院の希望により解剖に応じた経験があります。

家族の中で一番に私が意思を明確にし、医学に知識と理解の高い伯父だったからとお受けしたのですが、数時間後早くも自分の決断が正しかったのか悩みましたし、パジャマの下に、胸に白い大きなガーゼが当てれている姿には、大変辛いものがありました。

伯父の体内から既に臓器が取り除かれてしまっている現実については、正視できず、帰宅後、ベッドに横たわる伯父に心からお詫びしました。



脳死では心臓はまだ動いているのですから、その一縷の望みを絶つ決断には大変勇気のいることです。頭ではわかっていても、「Yes」の一言が言えるかどうか・・・ 自信がありません。




日本人の倫理観からすれば臓器提供定着にはまだまだ道のりは遠く、この善意の提供は本当に尊く、医療関係者ならば、倫理的にばかりではなく、移植臓器の重要性をよく認識しているはずです。にも拘らずこのような事故が起きてしまったことで、提供側のご家族の善意は無となり、また移植予定の患者さんとそのご家族はどんなにか落胆し、この移植の遅れが生命に多大な影響を及ぼさないことを切に願い、二度とこのようなことが起きないように、充分なチェック体制を築いて頂きたいと、心より願います。



心停止後ご自身の腎臓提供を申し出られた方には、天での平安をお祈りし、

移植を受けられなかった患者さんには、どうぞ次の機会まで、お大切にお過ごし頂きたいと、願います。