<伊吹文科相>英語必修に慎重な考え示す

 次期学習指導要領に盛り込まれる見通しの小学校5年生以上の英語必修化について、伊吹文明文部科学相は27日、「必須化する必要は全くない。まず美しい日本語が書けないのに、外国の言葉をやってもダメ」と必修化に慎重な考えを示した。文科省が実施した市民からの意見募集でも必修化に消極的な意見が約4割を占めており、今後論議を呼びそうだ。
 伊吹文科相は、英語教育よりも最低限の素養や学力を身につけさせることが先決だという認識を示した。さらに中央教育審議会が英語必修化を答申した場合について、「中教審のお考えを入れるか入れないかは、私が判断をしなければいけない」と述べた。【高山純二】


(毎日新聞) - 9月27日





伊吹新文科相の就任早々のコメントです。

仰りたいことはよくわかります。


資源もない島国日本では外国との交流なくして生き抜くことはできず、外国語、中でもビジネス界の共通語である英語の習得は大変重要で、経済発展の将来さえ左右する可能性のあることなので、私は早期英語教育開始に異論を唱えるどころか、むしろ外国語教育の重要性を認識する人間の一人です。


以前ある経済誌で、英語習得した人としない人の生涯年収の差は、1億に渡ると記載されて大変話題になったこともありました。


私は「舌」が生まれつき人より短く、現在でも日本語で発しにくい音があるのですが、外国語習得には支障が出るだろうと医師より指摘され、就学前に舌の手術を勧められていました。なので幼稚園に上がる前から、舌の訓練の目的もあり、英語・フランス語・ドイツ語に親しみ、幼稚園に上がるとラテン語に親しむ環境があったのですが、その頃、それぞれの言語の区分けが出来ず、私はミックスアップされた独自の言葉を話し始めてしまいました。朝に「グッド・モーニング」、夜に「グーテン・ターク」と言うならいいのですが、『グッド・モールゲン』という具合に、混ざった言葉を話し始めたので、学校でちゃんとした日本語が話せなくなることを懸念した家族は、私の外国語学習をストップしてしまいました。


しかし大脳生理学的によると、そのまま言語学習を続けていたなら、ちゃんとそれぞれの言語が区分けできて、キチンとした外国語が話せるようになっていたそうです。脳にはそういう機能があるのです。



もし小学生に早期の英語学習を行っても、理論的には日本語教育の妨げにはならないのですが、コスモポリタンな感覚の人が増えた昨今では、早期英語教育が日本語教育を蔑ろにする感覚を促進してしまうことはあるでしょう。


日本語は、世界の言語の中でも特に音声の美しい言語と言われています。語彙も豊かで、また日本語にしかない独特の表現も沢山あります。

2004年にノーベル平和賞を受賞した、ケニアの環境副大臣ワンガリ・マータイ女史が、日本を訪問して「勿体無い」という言葉を知って感動し、そのまま『MOTTAINAI』として世界に広めているのは有名なことです。



日本語は<シナ=チベット語族>に属し、語族的にもメジャーな言語とは同系列ではなく、50音と少ない音数しかない日本語に慣れている日本人の耳には、英語の複雑な母音を聞き分けられないことも、日本人が英語を苦手とする理由と、英国のある言語学教育機関の研究では示されています。

英語習得は必須で、早期の英語教育は私立学校では既に行われていることなので、私は小学校の英語教育必須化に意義はないのですが、今日のような英語教育では英会話習得は困難であり、それを敢えて推し進めることは無意味で、興味付けとしての英語学習であるなら、授業の一環とせずとも、何等かの別な手立てを講じればよいと思います。


まずは日本語習得をキチンと行うことは日本人として当たり前のことです。国語教育の重視こそが、あらゆる学科の学力促進につながるのですから、英語、英語・・・と躍起になる前に、まず日本語の重要性を認識すべき点では、私も大いに賛成です。


不思議なのですが、私は英語を話すときは振る舞いや人格も自然と欧米的になります。しかしそれは不思議なことではなく、言語はその国々の文化や習慣、哲学が背景にあって形成されているものなので、その言語を話すということは、その国の風習に倣うことでもあるからです。


そういう意味でも、正しい日本語の習得は日本人としてのアイデンティティーを形成する一助となり、国際化が増せば増すほどに重要なことなので、国際化促進の為に敢えて、日本語学習の重要性を唱えます。

平安の昔に比べれば日本語も随分と変化したのですから、今後日本語が更に変化することもあるかもしれません。しかし正しく美しい日本語を話せる青少年の育成こそが、まず国家として重視すべき事柄でしょう。



今教育の現場から発せられている英語教育必須化不要論は、「基礎学力の低下を改善できないまま外国語教育の導入は不必要」というものですが、この基礎学力の低下は指導要領の簡素化、教育の現場に問題があり、英語学習偏重になったからではないはずなので、伊吹新文相の論に全面的には賛成しかね、基礎学力の低下を招いた根因がどこにあるのかをよく検証し、改善して頂かなければならないと思います。

基礎学力の向上と英語学習の早期導入は同列にではなく、別個の事柄として扱い、優先順位はあっても、早期にいずれも対応して頂きたい課題です。



中学生以上の英語学習においても、全面的に見直し、今日のような書くだけの学習は、そろそろ改善すべきでしょう。

現在の学校教育で導入されている英語教育は<ミシガン・メソッド>というもので、それを導入した明治期にはメジャーな学習法だったのですが、書物を読む力を着けるには効果的でしたが、交通機関の発達により国と国の距離が縮まり、外国人とのFace to Faceの交流が増えた今日では、『話せる英語学習』、『使える英語』の学習を視野に入れないと、即戦力とはなりません。


ボーダレス社会になろうとしている21世紀では、外国人と交流できることは必須なので、日本人としてのアイデンティティーの形成を助ける基礎学力の養成と、国際社会を生き抜ける素養の育成を、真剣に検討、導入して頂きたいと、切に願います。