本日、日本武道館にて、

橋本龍太郎元総理大臣の内閣・自由民主党合同葬が行われました。


今日はどうしてもこの、橋本龍太郎さんを取り上げさせて頂きたいと思います。



世間では橋本さんを誤解している方が大変多かったように思います。

私自身、子供の頃からあまり好きではありませんでした。




だって・・・



あのヘアスタイル、キザなご様子・・・ 子供には苦手に感じます。


けれど本当はとてもお優しく、「んっ? どうしたの?」と

あんなにお優しく語り掛けて下さる大人の男性は、そう多くないでしょう。

子供と女性に優しい方でしたね(^^)

人間味溢れる人格であったことは、多くの方々が認識し語っています。


学生時代、龍太郎氏の家庭教師を務めてくれた、父龍伍氏の書生が、

龍太郎氏が1978年に厚生大臣に就任した際

厚生事務次官になっていました。

かつての家庭教師が次官で、その教え子が大臣です。

龍太郎氏は大臣就任の日の夜、次官宅に一升瓶を提げて訪ねたそうです。

きっと遅くまで美酒を味わったことでしょうお酒



橋本元首相は時代に早過ぎたのです。

昨今小泉首相が「改革の人」とばかり謳われていますが、

何を為したでしょうか?


戦後日本最大の民営化事業である「国鉄民営化」は

橋本龍太郎氏が運輸大臣のときに決行されました。


日本で初めて「消費税」の導入が為されたのは

橋本龍太郎氏が大蔵大臣のときでした。


自由民主党が結党以来初めて野党となった後、

政権奪取の為に宿敵であった日本社会党と手を組んだのは

橋本龍太郎氏が党の舵取りを行う幹事長のときでした。



竹下派の後を受けて橋本派を立ち上げたとき、

龍太郎氏はそれまでの派閥政治とは異なる派閥運営を行おうとしました。

改革は一気に行えるものではなく、また外から行えるものではありません。

外からの改革はcrush&buildで、現在の外資の在り方と同じです。

良いものさえも跡を残しません。

悪しきは改め、されど古くとも善きものは残す・・・

それが橋本龍太郎の理念だったと思います。

短気さと、言葉の少なさであまり多くの理解を得られなかったことを

本当に残念に、改めて残念に思います。


昨年来、後藤田正晴氏、松野頼三氏がこの世を去り、

また一つ昭和の時代が去ってしまったことを悲しく思っていましたが、

橋本龍太郎さんのご逝去はまだまだ早く、

これからの日本の為にもう一働きも、二働きもして頂かなければならない方だったので、

本当に惜しまれ、大きな喪失感を感じずにはいられません。



ご訃報が届いた7月1日のことを今も鮮明に覚えています。



今日、武道館のご遺影を拝見して

あんなに優しく温かく微笑んだお顔を初めて拝見したように思います。

ご家族のご意思を尊重してご葬儀には遠慮致しましたが、

天に召されて、ようやく安息を得られ

今まで背負ってらした多くの重荷を下ろされたのですね。

「お疲れ様でした・・・」

そんな言葉が自然と出てくるようなお表情でした。


今頃は懐かしい方々と政治談議に花を咲かせておいでのことでしょう。




ご冥福を 心よりお祈り申し上げ

  これからの日本を見守っていて頂きたいと願っています